開聞登山道 〜 開聞岳 敗退(924m) 〜 開聞登山道
コース概念図 コース断面図
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2014年07月30日 (水曜日)晴れ後曇り メンバー:6名
歩行距離 5.6q/歩行時間 3時間25分 (休憩時間 3時間53分) 所要時間 7時間18分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》

07:10
《プロローグ》
29日早朝の7時10分発に関空を飛び立った飛行機はほぼ予定通り鹿児島空港に着陸し、大阪空港からのだおいえさんが到着するのを待って市内まで移動する。 さらに前夜船で出発したとっさんと合流して6人が揃ったところで市内巡りとなったが、カンカン照りのためテンションは上がらないまま城山展望台西郷洞窟に立ち寄ってみる。
12:26 興味を惹かれたのは「殆どの方は知らないと思うが、銅像の西郷さんは実は弟で実際の西郷隆盛とは姿形が違っている」と地元の方に窺った事で、史実はどうなのか?と野次馬根性が頭をもたげてくる。
16:21 その後は鹿児島中央駅前に戻ってJR指宿枕崎線で指宿駅まで移動する
足湯の設けられた指宿駅前で最終日の行動計画を確定するためにバス案内所に立ち寄って情報を集めた後、到着した送迎バスに揺られて宿舎の休暇村へ向かう。
18:28 砂湯や温泉でユックリ寛いだ後の夕食タイムでは第一回目の作戦会議を兼ねていて、最後に明日の健闘を誓い合って一日目の床に着く。

09:16
《催行当日》
朝目覚めると薄暗い雲間から降る細かい雨が目に付く。
雨は程なく止んだが気温は下がることなく湿度だけが上がって、最も苦手な高温多湿の中を登らなければならない環境が整ってしまったので重い気持ちを引きずりながら「のったりおりたりバス」休暇村前から市内の観光地を巡りながら開聞岳へ向かう事になる。
10:09 - 10:15 普通なら10〜15分もあれば到着すると思われるが、色々な観光ポイントをゆっくり巡るバスなので時間が掛かるのは仕方がないと覚悟していたところ凡そ50分で下車予定の開聞中学校前バス停に着く。
目の前には円錐形のスッキリした姿を見せている筈の開聞岳も、8合目付近から上を取り巻くガスの所為でお椀型に見える。

この時点で手元の温度計は34℃を示しているが、熱中症対策として準備した水分は3000ccだが果たして足りるのだろうか? 不安 不安 不安 不安 不安

10:21 道はバス道(県道243号・長崎鼻公園開聞線)から西への舗装路を伝い、特養ホーム・薩摩富士荘を左に見やって緩やかな坂道を登ると、右手から開聞中学校に迎えられて三差路に突き当たる。右に進めば開聞登山口バス停に続いているのだが、帰路として辿る予定なのでここでは左に進む事になる。
10:23 - 10:24 三差路を左折して15m程舗装路を伝うと、右手から一合目と書かれた標識に見送られて舗装された坂道を緩やかに伝い登る。
10:25 正面にはこれから登る事になる開聞岳が姿を見せているが、山頂部がガスに捲かれているため何処ででも見かける山容に見えてしまい迫力はイマイチだ。
10:28 三差路から100m程も舗装路を伝うと左手に天の岩屋の小さな鳥居が現れる。

※付近に由来の書かれた案内板等は見あたらないが、瑞照寺が建立されたところで、天智天皇の后となった瑞照姫が誕生した時に岸壁に半月が現れたという伝説があるそうだが、果たしてその半月が何を意味しているのか判らないまま通り過ぎる。

10:31 - 10:32 やがて前方に四差路が目に付くがここが開聞岳への唯一の登山口だと案内されている。
しかし人気の山も他にハイカーの姿が見あたらないのは季節と高温多湿の所為で、山に出かける人がないのだろうと勝手に納得していると、意識して遅く歩いている訳でもないのに前を歩く5人との距離が徐々に開いて行くのが気になり出す。
10:34 - 10:36 登山口から2〜3分で右手にかいもん山麓ふれあい公園内のトイレが見えるが、「これより先にトイレはありません」と書かれた標識に従ってトイレに立ち寄る。
10:42 - 10:44 先程の登山口から10分程で再び四差路になった二合目に着くが、道標には山頂まで あと3.5kmと案内されていてここからは未舗装の山道を進む事になるので荷物の最終点検を兼ねて休憩を挟む。

10:48 道は露岩や木の根が飛び出し、シダ類の混じる下草を分けて登る暗くて歩きにくい樹林に覆われた山道に変わる。
10:53 土砂が雨水に洗い流されて抉れた山道は取り残された露岩が飛び出す歩きにくいコースだが、枝道がないので分岐で迷う心配が不要というのは“誰でも登れる山”の絶対条件なのだろう。
11:03 - 11:05 二合目を出て20分程で林道と交差する二・五合目に着く頃になると足が予想外に重く感じられ、ペースの割には汗が吹き出して息の上がるのも早い事に自身で驚くが担当医に「無理はせずに、しんどいと思ったらすぐに休む事」と警告された言葉を想い出す。
11:09 呼吸が整うのを待って歩きにくいダケ道を伝っていると息苦しくなってみるみるうちに先行メンバーが見えなくなるが、今回は同じ道を往復する事になっているので気にすることなくマイペースを維持する。
11:16 - 11:18 二・五合目から10分程でやっと三合目に着くと、先行のヒゲさんが心配顔で待っていてくれる。
三合目の道標には山頂まで あと2.9qと書かれているので35分掛かってやっと600m進んだ事になる。
11:50 - 11:54 30分近く掛けて相変わらず露岩に覆われた山道を辿ると先行メンバーの待つ四合目が見え出すが、先行メンバーは私を待ちながら既に5分以上休んでいたようなので「ノンビリ登るから、気にせずに山頂を目指して欲しい」旨を伝えて、5人が先に進むのを見送った後を独り占めして休憩する。

道脇に建てられた道標には山頂まで あと2.5kmと書かれているので凡そ30分掛けてやっと400m進んだ事になり、どんどんペースが落ちている事で今回の登頂は非常に厳しくなったという現実を意識するが、ひとまず五合目に着いた時点で最終判断をする事とする。

12:32 - 16:14 直射日光は当たらないが風も通らない蒸し暑い樹林を伝い登るので吹き出す汗で服もタオルもグッショリ濡れて、ウンザリしながら足を進めるとやっとの思いで展望デッキの付けられた五合目に到着する。 絶景を眺めながらここで昼食休憩を挟む事にするが、予定では30分前にここを通過する事になっているのだ・・・・ この先六合目は展望が期待できないのでどうするか思案しているとヒゲさんから電話があり「いま六合目だが、展望がないので七合目まで登って食事する」とのメッセージを受け取り、タフな最長老にはいつもの事ながら感心させられる。 せめて七合目までは登りたいとの気持ちがあるので少し足を進めてみるが、ムクんだ足には50m程進む事が精一杯で休みの合間に登るを繰り返す事になる。 このペースでは時間内に七合目さえ覚束ないと判断して再び五合目まで戻り、ヒゲさんに「五合目でリタイヤする」事を伝える。
展望デッキにシートを広げて横になりながら北方向にウッスラと姿を見せる桜島を眺めていると、76才だと仰る男性とお嬢さんが元気な足取りで登って行かれる。 入れ替わるように子供連れの家族4人パーティーが下って来てベンチで賑やかに羨ましい会話が始まり、下って行かれるのを見送る。

14時23分にメンバーのケンさんから登頂の一報が入る。 ほぼ予定通りの到着だと伝えると満足そうに「展望がないので10分程で下山に取りかかる」旨のメッセージを受け取った後、14時34分に「これから下山する」と連絡を受ける。 その後も何組かのパーティーが下って行かれるのを見て予想外に多いハイカーに「さすが100名山」と驚かされる。
驚く事に、一番最後に登って行かれた76才の男性パーティーが疲れた様子も見せずに下って行かれ、その足捌きに完全脱帽していると15時49分にメンバーの一番若手で企画のオーナーであるノムさんが最初に姿を現す。 山頂から1時間15分で下ってきた事になるが、すぐ手前で76才のパーティーに追い抜かれたとの説明に戦慄を覚える。 やがて凡そ20分後に全員が顔を揃えたところで五合目を後にして、四合目を16時25分に、三合目を16時38分に通過して、16時56分に二合目に下り着く。

17:19 復路では往路で左折した三差路で開聞中学校を右手に見て開聞登山口バス停方向へ直進して、10分程でJR指宿枕崎線を横切ると左手400m程に開聞駅がある筈だが無視して県道243号・長崎鼻公園開聞線にある開聞登山口バス停にゴールインする。

17時47分発のバス待ち時間を利用して自販機で調達した飲物を思いっきり喉に流し込む。 やがて到着したバスで休暇村 指宿まで戻って至福の一時を反省会で費やすが、五合目で敗退する事になった私には悔しさが残ったまま眠りに就く事となったしまった。(T_T)


17:33
《エピローグ》
最終日はダオイエさんの発案で指宿から鹿児島空港まで観光地を巡りながら辿ってみようと言う事で、定期観光バスに乗り込んで午前のコースは岩崎美術館〜長崎鼻〜開聞岳山麓を辿ってみるが生憎の雨模様で昨日同様、見事な円錐形を見せてくれる筈の開聞岳も深いガスの中で最初から最後まで全容を見せてくれる事がないまま、指宿ゴルフクラブでの昼食タイムも終わる。
11:38 午後は池田湖〜知覧特攻平和会館(撮影禁止)〜知覧武家屋敷を案内してくれるが、イッシーで有名な池田湖では実物の大ウナギにお目に掛かってその大きさに驚かされ、知覧特攻平和会館では戦争の空しさを再認識させられる。 知覧武家屋敷群では薩摩の小京都と言われているそうだが、歩いて見ると美しく整備された生垣が印象に残り、
14:34 昭和56年(1981年)に「知覧麓庭園」として国の名勝に指定された7つの庭園のうち、6庭園は枯山水式庭園だが森氏庭園だけは池泉式庭園だと案内されている。

一通りの観光が済むと、バスは鹿児島市街地を抜けて鹿児島空港まで我々を運んでくれる。 空港で時間を潰した後は20時35分発の飛行機で帰阪の予定だったが、整備遅れというトバッチリをモロに受けて離陸が21時22分で関空には最終電車に何とか間に合う22時台後半に着陸。 メンバーとの挨拶もそこそこに各自バラバラと最終電車に飛び乗る事が出来て何とか無事帰宅。

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