忍辱山 〜 柳生街道(Ca.360m) 〜 柳生沿線探索路
コース概念図 コース断面図
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2014年05月14日 (水曜日)晴れ後曇り メンバー:5名
歩行距離 14.8q/歩行時間 5時間40分 (休憩時間 2時間35分) 所要時間 8時間15分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
10:13 2005年12月に完歩する事が出来なかったコースを凡そ10年振りにリベンジする事になり、JR奈良駅から奈良交通バスに30分揺られて忍辱山バス停で数人のハイカーと一緒に下車。円成寺を参拝してから滝坂の道を辿られる他のハイカーと別れて東海自然歩道を北に向かってスタート。
10:15 50mほど先にあるY字状の分岐には、更に中間を下るもう1本の細い道が通っている事が判るが道標に従ってその細い道に足を進める。
10:19 最初はすっかり舗装された植林の中を辿る2m幅の道を緩やかに下ると
10:23 右後方に下誓多林への道が岐れると田園地帯に拡がる長閑で平坦な散策路に変わる。
10:31 次に現れる三叉路も完備した道標に従って右へ歩を進めると
10:33 すぐ先で畦道状の細い道が左へ岐れるが、この分岐に打たれた心細い道標が左の細い道が東海自然歩道だと教えてくれるのでこの畦道?を辿る事にする。
10:36 気持ちの良い田園風景と別れて足元が泥濘んで歩きにくい植林を伝う事になり
10:44 明るく若やいだ緑に囲まれた雑木林でフィトンチッドと木洩れ日を浴びると、U字に掘られた樹幹の道を伝う事になる。
10:51 - 10:55 バス停を出て35分もすると梵石の建ち並ぶ小広場に就くので、1回目の休憩を挟む事とする。
2005年に歩いた時はこの辺りも地道だったのだが、10年近くも経つとすっかり様相も変わってコンクリート舗装になっている事に納得させられる。
10:59 やがて道標が現れて鋭角的に右手後方へ戻るように足を進めると
11:01 大柳生の集落を南北に流れる白砂川を越えて
11:05 右手からソッと見送ってくれる石灯籠に見守られてコンモリと木立に囲まれた森に向かうと
11:07 右手に緩やかな坂道が見えるのでこの坂道を登る。
11:09 坂道の上では夜支布(やぎう)山口神社が静かな佇まいを見せているのでヒッソリとした神社の境内を少し散策してみる。
11:15 一巡り済んだところで境内の奥にあるトイレを拝借して、神社から南東に真っ直ぐ伸びる4m幅の地道を伝う。
11:17 地道は一旦県道47号・天理加茂木津線を横切って長閑な田園風景に癒されながら進むと100m程前方で道標が左折するよう教えてくれるので左(=北東)へ曲がり
11:18 少し広い畦道伝いで北東へ進む。
11:21 - 11:22 前方に見えていた民家が間近に見えると水木古墳に到着するのでカメラ休憩を挟む。

※傍に建てられた案内板に依ると水木古墳は6世紀後半に造られたものだろうとのコメントが書かれている。

11:37 微妙に入り組んだ民家を縫うように取り付けられた道標通り足を進めると突然広場に飛び出すが、建てられた木製の表示板に“問題”とだけ書かれた木札が下げられているのを見て面食らう。
一体、何を意味しているのか疑問を抱いたまま通り過ぎる事になる。
11:42 そこから5分程で運休中の自販機が設置された民家に着くが、実はここが分岐になっていて木陰に判りにくい道標が付けられたいるのだがウッカリすると見落としてしまいそうで、この分岐を右への少し細い道に入る。
11:48 5〜6分で左手に青少年野外活動センターを見やると、10数名の中学生が昼食前の歓談で賑わっているようなのでお邪魔にならないようこの場を通り過ぎる。
11:51 やがて右手前方にこれから訪れる南明寺のある南出集落とその後方に横たわっている阪原峠付近の山並みが視界に入る。
11:59 - 12:01 左手方向にほぼ並行して走る国道369号が徐々に近くなってくると、程なく真言宗御室派の寺院である医王山・南明寺に着くが、前回(2005年)と大きく違っているのは「立ち入り禁止」のロープが張られて境内に入れなくなっている事だが、唯一開放されているのは北側に設置されているトイレだけのようだ。
12:05 - 12:06 東へ向かうコースを辿ると、当時のシンデレラストーリーが伝えられるお藤の井戸が現れるので束の間のカメラ休憩を挟む。

※近くに住むお藤がいつものように洗濯をしていると、柳生の城主だった但馬守宗矩がこの井戸の付近を通りかかり、「桶の中の波はいくつあるか」という問いを投げかけたところ「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ?」と訊ね返した。但馬様はその器量の良さと才気を見初めお藤を妻に迎えたそうで、今も里歌には仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤但馬の嫁になると残されているそうだ。

12:09 - 12:39 井戸から東へ5〜6分辿ったところで長閑な日本の原風景を見渡せる畦堤に腰を下ろして昼食タイムを楽しむ事にする。
12:43 食後は東に伝って山麓を北へ辿ると全く道標もない判り難い分岐に迎えられるが、ここから峠に向かう予定なので山沿いに右へ伸びる道に足を進める。
12:50 ここからいよいよ阪原(かえりばさ)峠への登りに差し掛かるのだが最初はコンクリート舗装の上りから始まり
12:57 右手に浄水場の施設を見やると石畳の急登に変わるので、食後のスタートには少し手強過ぎる歓迎に思わず息も上がりペースを落としながらの峠越えとなるが
13:05 そんな峠道も地道に変わると勾配が緩やかになり、右脇に大きな岩が姿を現すと峠までもう一息だ。
13:06 - 13:08 今回のコース中で最大の登り返しである阪原峠に着いたところで行程は6q、全行程の40%といったところだが前回のように不調を訴えるメンバーは今のところなさそうだ。
13:25 峠を越えて柳生の里までは緩やかな山腹道を20分も捲き下ると、辻村集落への道を右後方に分けるところで道標の案内通り直進する。
13:26 - 13:28 四阿を独り占めする巨石が現れるが、これが通称疱瘡地蔵と呼ばれる地蔵菩薩立像が彫られた高さ3m程の花崗岩で、右下部分に27文字の碑文が刻まれているそうだ。

※土一揆のときに農民が掘った正長元(1573)年より以前の負債は消滅した---室町初期の徳政令【借金棒引き】という意味の碑文が書かれているそうだ。

13:30 さらに2〜3分足を進めると高さ1.5m程の中村六地蔵が左手から見送ってくれる。
13:35 やがて現れる三叉路を右に採って国道369号を横切り真っ直ぐ東に向かうと、山脇集落への道から左に2m幅の一刀石への道が岐れるので足を進める。
13:38 - 13:40 2〜3分で右手に稼働中の炭焼き小屋が目に付くので少し立ち寄って、作業中のオジサンから面白いエピソード等お聞きしながら少しの間足を休める。
13:47 やがて自身3度目となる変則的な四差路に着くので最も右寄りの道を伝い登ると
13:52 柳生家の修行場と伝えられる天乃石立神社の入口となる鳥居が現れるので潜り抜ける。
13:54 100mも進むと見事に磨かれたような不思議な巨石と注連縄が視界に入るが、これが天乃石立神社のご神体で高さ6m、幅7.3m、厚さ1.2mで扉状の石盤だと説明されている。
13:57 - 13:58 ご神体から50m程奥へ辿ると柳生新陰流の開祖である石舟齊が天狗と思い込んで一刀両断した巨石だと伝えられる一刀石で凡そ7m四方あるそうだが、この手の逸話は枚挙に暇がない程多いのであまり興味が湧いてこない。

この後は一旦変則的な四差路まで戻って往路を左に見やって直進して

14:07 柳生家の菩提寺である芳徳禅寺への道を伝ってわざわざ到着した芳徳禅寺だが、
14:17 - 14:26 今回のメンバー全員が無信教という事で拝観料を支払ってまで他人の墓石を参拝する気持ちは無いという事なので、少し足を休めただけで先に進む事にする。
14:28 ここからは北方向へ下るルートを採って緩やかな斜面を伝い下って
14:32 打滝川に架かるモミジ橋を渡り
14:40 - 14:44 最後の行程に入る前に、訪れた事がないというメンバーもいる事なので旧柳生藩家老屋敷にも立ち寄って見るが、ここまで来たところで足に違和感を訴えるメンバーが現れたので少し様子を見てみる事にする。
ここでもわざわざ拝観料を支払う気にならないようなので小山田邸の外観だけ拝見して屋敷を辞する事にする。
14:56 - 14:58 取りあえずリタイヤの準備をして柳生バス停に到着するが、残りの4〜5q程度なら歩けそうだというメンバーの意気込みを尊重してここから柳生沿線探勝路への急階段に取り付いて、前回断念した最終工程に足を進めてみる。
14:59 ここまで既に10q近く歩いた足には少し厳しい登りだが、
15:01 高度差にすれば僅か70m程なのでペースに気を配って何とか急勾配を登り切ると
15:10 - 15:13 古城山から南に延びる尾根尻に設えられた剣塚に着くので休憩を兼ねたカメラタイムを挟む。
15:17 ここからは道も少し細くなるが柳生沿線探勝路として整備も行き届いているので、苦手な舗装路(=東海自然歩道?)を伝うより遙かに快適で自然林の眩い緑に癒されながらの稜線歩きを楽しむが
15:19 気がつくと小さな起伏ではあるが鞍部には明らかに人工的と思える溝状の空堀が残されていて、当時から山城が築かれていた事が古城山の名前からもうかがい知る事が出来る。ただし、古城山への明確な道はなく探勝路は鞍部から東側を捲いて続くので山頂に打たれた四等三角点(点名:柳生下 標高:312.19m)への立ち寄りは次の機会に譲る事にする。
15:22 古城山を左上に見て捲き通ると突然頭上が開けるが、雑木を伐採して植林の予定でもあるのか作業用林道を右下に見やってさらに尾根を伝うと
15:31 10分程で左半分が崩落した場所に着くが、疲れの溜まってきた足で路肩を踏み外す事が無いよう“フラツキ禁止!”を頭に叩き込んで通過する。
15:33 - 15:35 殆ど起伏の無くなった尾根道を剣塚から20分程伝うと左に分岐がある三叉路に到着する。

直進すれば飛鳥路へ続く険路と案内されているが、我々は計画通り左に採って阿対(あたや)の石仏で東海自然歩道に合流する事にする。

15:37 明るい雑木に囲まれた樹林の尾根を西へ伝うと徐々に高度が下がって行き
15:42 飛び出した露岩が目立ち始めるとルートは尾根筋を離れて左(=南)側の斜面を下るように変わる。
15:42 - 15:47 このポイントは丁度阿対の石仏がある岩壁の真上に当たるので、左へ下るメンバーと別れて右側から薄い踏み跡伝いで石仏の横に先回りして降り着いてメンバーの到着を待ちながら石仏前の小広場をゆっくりカメラで切り取ってみる。
15:52 メンバーのカメラ休憩も終わったところで打滝川沿いを走る県道4号・笠置山添線に合流して北へ向かい、かさぎ橋の分岐で右に岐れる東海自然歩道に足を進め
16:24 - 16:31 緩やかな上り坂がダラダラと続く苦手な舗装道路を凡そ30分辿ると笠置寺の境内に直接飛び出す事になるが、磨崖仏や行場は全員が何度か訪れた事があるという事なのでここでも拝観と行場巡りを割愛する事にして休憩が済めばすぐ下山に取りかかる。
17:04 - 18:22 メンバーの足へのダメージが気になるが少し足場の悪い参道を30分掛けて伝い下って、ワカサギ温泉でユックリと疲れを洗い流した後はJRの発車時刻までプレ反省会で無事に歩き通した事を労い
18:28 JR笠置駅18時34分発に間に合うよう腰を上げるが、駅に着いたところで忘れ物に気づいた事で途中まで取りに戻るがもう一度確かめてみるとザックの中を見落としていた事が判り、改めてメンバーに50分遅れで反省会場へ・・・・ f(^_^;)
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