芳徳禅寺 〜 柳生〜笠置(Ca.330m) 〜 笠置寺参道
コース概念図 コース断面図
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2011年06月23日 (木曜日)曇り時々晴れ メンバー:4名
歩行距離 10.3q/歩行時間 3時間37分 (休憩時間 3時間41分) 所要時間 7時間18分
10:33 近鉄奈良駅で今回の同行者3名と合流し、駅前を9時40分に出る奈良交通バス・邑地中村行きに乗り込みますが20数名の団体客などで満席状態のため、座れないまま発車します
平日という事でこれ程混むとは予想もしなかったのですが、始発のJR奈良駅を集合場所にすれば良かったかなと思いながら下車予定の柳生バス停へ向かいますが、途中でメンバー1人が体調不良を訴えたので昇降口の階段に腰掛けさせて貰うと下車時には無事体調も戻り、バス停で少し様子を確かめて計画通り国道369号を南へスタートします 10:41 数分足を進めるとすぐ左手から奈良県 奈良警察署・柳生駐在所と書かれた趣のある交番が見送ってくれます 10:46 5分も国道を辿ると「↑柳生陣屋跡・芳徳寺/旧柳生藩家老屋敷→」の道標が打たれた分岐に着きますので、道標通りここは直進すると 10:47 さらに10m程の所に「←芳徳寺・もみじ橋/柳生陣屋跡↑」の道標が迎えてくれますので、ここを左の地道に足を進めます 10:48 打滝川にかかる朱塗りのもみじ橋を右岸へ渡りますが、橋の右手に建てられた石標には“古楓橋”と彫られていますのでモミジという字も色々な書き方があるようです 10:50 右岸を川沿いに遡行するように右手方向への階段を登りますが 10:54 2〜3分で階段が途切れると緩やかな坂道に代わり、程なく広い芳徳寺前の広場に登り着きます 10:58 すぐ左手から臨済宗大徳寺派・神護山芳徳禅寺の山門が迎えてくれますので、無人の受付で入山料\300を料金箱に納付して山門を潜ると 10:59 芝生の敷き詰められた広い境内が目の前に広がりますが、とりあえず石畳の道を辿って 11:00 - 11:10 正面の本堂東横に見える当時の武具や関連資料等が展示されている資料室を巡ります
内部には“撮影禁止”の表示もありませんので適当に思いつくままシャッターを切りますが、最も気になったのが・・・座り心地の悪そうな堅い鞍で当時の武士はよくもこんな鞍で我慢できたものだと変なところで感心させられます 11:03 ついでに・・・・柳生兵法の奥義?が書かれた巻物にもレンズを向けた後資料室を出て 11:12 本堂の西側を通る2m幅の地道を回り込んで約5分で 11:14 - 11:19 静かな木立に囲まれた中に眠る柳生家一族累代の墓所に着きます 11:15 80基を越えると言われる墓標が整然と居並ぶ様子に圧倒されますが、歴史音痴の私には他の墓石に興味もありませんので 11:18 中央部やや左に建てられた有名な十兵衛三厳又十郎宗冬、その奥に又右衛門宗矩の墓石を確認して芳徳寺を辞して一刀石に向かいますが、正木坂剣禅道場を右手に見て坂道を下ると賑やかな声とともに元気な小学生グループとすれ違います
すぐ分岐に差し掛かるところで「念ずれば 花ひらくなる必ずや 柳生坂道来ます日 待たむ」と彫られた石碑に送られて 11:31 「←一刀石/陣屋跡→」の分岐を左へ緩く登りますがここでも別グループの小学生とすれ違い、「こんにちは〜」と元気な挨拶を貰って少し若さを分けて戴きます 11:42 苦手なコンクリート舗装を暫く我慢して伝うと、やがて前方に鳥居が目に付き坂道は終わって平坦な地道に代わり 11:43 ここで俗界と神域の結界となる天石立(あめのいわたて)神社の鳥居を潜る事になりますが、途端に厳かな空気に包まれて柳生家の修練場へ足を踏み入れる事になります 11:44 案内板からすぐのところに周囲とは全く雰囲気の異なる不思議な岩に迎えられますが、案内板によると前伏磐となるようですが・・・ その隣には注連縄の巡らされて、まるで磨かれたように見事なご神体が寄り添うように突き立っていますが、こちらが前立磐後立磐と言う事になるのでしょうか?
ご神体の向かいに建てられた式内天乃石立神社縁起には三つに割れていると書かれていますので、先程の巨岩は前伏磐ではないようです 11:45 さらに杉木立の中を奥へ辿ると 11:46 - 11:50 地表から3m程飛び出した巨岩が見えだし、まるで太古に生存していた恐竜の卵が割れる瞬間に出くわしたような錯覚を感じますが、一説に柳生石舟齊宗厳により一刀両断されたものと伝えられているようです 11:59 再び天石立神社を経て柳生陣屋跡方面への分岐を左に下り山脇集落を通り抜けて 12:17 - 12:47 国道369号を西へ横切り、改めて北へ進むと分岐から15分で公園広場になった柳生陣屋跡に着きますので昼食中の中学生グループを見渡しながら適当な休憩場所を探し 陣屋跡全体を見渡せる場所を確保してコンビニ弁当を広げての昼食タイムです 12:56 食後は家老屋敷跡へ向かう事になりますが、今は丁度見頃となっている「花菖蒲園」に多くの観光客が集中しているようでほとんど出逢う人が無いまま、公開されていない分家となる小山田家を左に通り過ぎると 12:57 - 13:03 すぐ北に隣接した旧柳生藩家老屋敷に着きます
さすが家老屋敷と言う事で立派に巡らされた石垣横の坂道を上がり、 13:01 立派な門構えの小山田主鈴邸を拝観する事としますが、予想外に整備が行き届いていてあまり歴史を感じ取る事が出来ないのも県の「有形文化財」であれば仕方の無い事かも知れません 13:13 旧家老屋敷を辞して国道369号を東に渡り返すと、左手後方から枯れて久しい十兵衛杉の見送りを受けます 13:15 スタートして約3時間、柳生の郷も人混みで混雑する“花ショウブ園”を除いて一巡りした事になりますので、改めて柳生バス停横に取付けられた鉄製の急階段登りからスタートです 13:16 鉄階段を登り切ると石積の階段をジグザグに伝う事になりますが、 13:19 2〜3分で尾根尻に着いて緩やかな登りに代わると見通しの利き難い樹林を縫って 13:22 - 13:26 さらに2〜3分で樹林を抜けると下草の茂る平地に着き、草原の中を少し進めば休憩設備のある四阿が迎えてくれます
すぐ横に立てられた案内標識によると“柳生家の先祖が陣を張ったという”場所だそうで、 13:27 20m四方ほどの荒れた広場の北隅には石塔と劔塚と彫られた標石が目に付きます
傍に寄ってみますが、標石以外には何も無いようなので 13:29 剣塚の右手から整備された2m幅の風通りの良い快適な柳生沿線探勝路を尾根伝いに北へ伝い古城山を目指します 13:33 ・・・が探勝路は少しずつ尾根筋から外れて右下がりの山肌をトラバースするように山頂を迂回しますので 13:36 古城山の山頂を左手に見上げて通過する事になります
と言う事で打たれている筈の四等三角点(点名:柳生下 標高:312.2m)に出逢う事は出来ません 13:38 古城山の北側に回り込むと掘り割りのように大きく切れ込んだ鞍部を跨ぐ鉄骨の橋を渡り 13:46 - 13:49 一面緑の自然林から殺風景な植林帯に代わります
代わり映えのしない植林の道を暫く辿ると左への分岐が現れますが道脇に建てられた真新しい道標には「←笠置・柳生/↑飛鳥路(山道険路)」と書かれていますので、少し休憩を挟んでこの分岐を左折します 13:51 ほぼ水平な尾根道を西に数分辿ると右前方の樹間に舗装路が見え隠れして道は一旦左(=南)への坂道を下ることになり 13:56 県道4号が打滝川に架かる柳生下橋横で東海自然歩道と合流します 13:57 合流点の三叉路に打たれた東海自然歩道の道標に案内されて右岸沿いの地道を北に100mも伝うと 14:00 - 14:03 小さなベンチの置かれた小広場に着きます
右手の岩壁には80p程の石仏が刻まれていますが、案内板によればこれが阿対(あたや)の石仏左側の地蔵に豆腐を供えると子宝に恵まれると言われていて、願いが叶うと千個の数珠を作って供える習慣が古くからあると書かれていますが、右手に吊られた千羽鶴は・・・千個の数珠の身代わりでしょうか? 14:05 石仏を後にして打滝川を左岸に渡り県道4号(笠置山添線)を5分程北に伝うと 14:08 「←JR笠置駅・わかさぎ温泉方面/笠置寺方面→」の道標が立てられたY字状の分岐に着きますので、県道を左に見やって舗装された広い東海自然歩道に足を進めますが 14:22 すぐ打滝川を跨ぐ鹿鷺(しかさぎ)橋を渡ると右手に“かさぎゴルフ倶楽部”が広がり、薄陽に晒されて木陰のない舗装路をウンザリしながら辿る事になります 14:34 - 14:43 やがて右手に「かさぎゴルフ倶楽部」への車道が岐れる所で木陰を探して足を休め、ここからは少し狭くなった左の3m幅の舗装路を進むとやがて東海自然歩道を左に分け、木陰の続く3m幅の舗装路を進む事になり 14:48 左手の傾斜地に群生するアジサイが、バテ掛けた体を束の間ですが癒してくれます 14:50 - 15:50 緩やかに右方向へ回り込むと突然鹿鷺山笠置寺の境内に飛び出す事となり、予想もしなかった展開に一瞬面食らいますが 14:56 気を取り直して早速、無人の受付で拝観料(\300)を支払って一周800mの修験場を巡りますが、まずは笠置寺のご本尊である巨大な花崗岩に刻まれた“日本最大の天人彫刻像”と言われる弥勒大磨崖仏(高さ15.6m/幅15m)を拝見します

※度重なる戦火を受け、ほとんど彫像を確認することができませんが、当時の最先端技術を持つ渡来人の工人が造ったものであろうと『笠置寺絵縁起』には案内されています 15:09 続いて磨崖仏の前に建つ正月堂(本堂)の下を通りますが、表から見る本堂とは異なり見事な舞台造りが施されている裏側を見上げて 15:10 岩道を下ると現在東大寺二月堂で行われている修二会(お水取り)の起源となった千手窟を見やってすぐ虚空蔵磨崖仏(高さ12m/幅7m)の見送りをうけますが、こちらはハッキリと彫像が残っていますので石仏音痴の私にでも全体を把握する事が出来ます

※日常の俗世の垢にまみれた修行者は行場を巡る前に一旦ここで“死”を迎えた後、虚空蔵磨崖仏に導かれて本来の行場に足を進めるようです 15:13 そして行場を巡る前にこの岩のトンネル胎内潜りを潜り抜ける事によって、“一度母の胎内に戻り”再生する浄化の場所と案内されていますので、我々も再生浄化を試みる事とします 15:15 続いて二番目の太鼓石をしゃがんでくぐり抜けますが、事前に案内書から入手してきた情報通り岩角付近を叩いてみても太鼓のような音を耳にする事が出来ないまま 15:22 順路を伝って山頂部へ向かうと元弘の戦乱時に後醍醐天皇の軍勢が、下から攻めてくる幕府方に対し山中にあった岩を落とした時の名残だと言われ、今でも手で押すと動くのでゆらぎ石の名が付けられたそうですが、ここでも事前に入手した情報通り試みますが簡単には動かないようで、諦めて木津川の流れにカメラを向けて見ます

※厳冬期にはこの低い山からでも見事な雲海を目にする事が出来るようです 15:28 さらに山頂部へ足を運ぶと平らなテーブル状の平等石が迎えてくれますので岩の上から、もう一度木津川の流れを楽しんで平等石の右下にある細い隙間、蟻の戸渡をすり抜けて 15:44 山頂直下にある二の丸跡からは西方・北方・東方の展望が良かったようですが、今では樹木が茂ってほとんど景観を楽しむ事が出来そうにありませんのでそのまま通り抜けて笠置寺を辞します 15:52 受付を出て山門を抜け、急階段の参道を下って車道を横切り東海自然歩道を伝い降りると 16:11 左下に笠置の町並みが大きく広がります
徐々に大きく広がる景色を楽しみながら 16:14 苦手なコンクリート舗装を伝い降りて車道に合流しますが 16:15 車道を30m程伝って“歓迎・笠置山自然公園”のアーチを通り過ぎれば5分程で 16:20 - 17:47 前回、休業日で入浴する事が出来なかった天然わかさぎ温泉・笠置いこいの館に無事到着です
ゆっくりと汗を流した後は電車の時間待ちを口実に・・・反省会のリハーサルです f(-_-;) 17:51 頃合いを見計らってリハーサルを切り上げ、JR関西線・笠置駅に着いて17時58分発の電車に乗りますが一駅隣の加茂駅止りですので18時21分発まで待って、やっと大阪行き区間快速に乗る事が出来ました
19時15分、予定通り天王寺駅に着いたところで反省会の続きが始まりです ページの先頭へ