栢森女綱 〜 高取城址(583.9m) 〜 壺阪寺
コース概念図 コース断面図
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2010年03月03日 (水曜日)曇り後晴れ メンバー:4名
歩行距離 14.4q/歩行時間 4時間19分 (休憩時間 1時間31分) 所要時間 5時間50分
(09:34) 近鉄吉野線急行に40分揺られて飛鳥駅に降り立ちますが、駅前はヒッソリと静まりかえってマスコミを賑わしていた頃の面影も今では窺う事は出来ません (09:56)-10:02 凡そ10分後に出る橿原神宮駅東口行き(23系統)の奈良交通バスに乗り継いで13分、今回のスタート地点となる「石舞台」バス停に降り立ちますが、気温14℃のわりにはここでも人影がほとんど目に着かない中をノンビリと石舞台の東側へ回って見る事とします 10:09 ヒッソリとした石舞台を道路から眺めながら県道15号(桜井明日香吉野線)を伝って進むと 10:10 見事に咲き誇る菜の花が道端から見送ってくれます 10:14 石舞台を右手に見ながら県道155号(多武峰見瀬線)と岐れ右手に伸びる県道15号へ足を進める事になりますが 10:25 右手を流れる飛鳥川沿いの傾斜地にその美しさから「日本の棚田百選」に選ばれた稲淵棚田が整然と広がり、日本の原風景を彷彿とさせてくれるこの通りは案山子ロードとも呼ばれ、秋には一帯で案山子コンテストが開催されると紹介されています 10:35 苦手な舗装路が続きますが長閑な田園風景に癒されて10分も足を進めると、左に旧道が別れるところで勧請橋(かんじょうばし)に着きますので、ここからは車も疎らなこの旧道を辿る事とします 10:37 すぐ頭上に注連縄が渡された地点を通りますが、この注連縄は飛鳥川上流の稲淵集落入り口に縣けられた男綱(おづな)で、厄疫が集落に入らないようにとの願いが込められていて男性のシンボルを形どられたものがつけられていると紹介されています。 10:42 - 10:44 数分で飛び石と書かれた案内板が目に留まりますので右の小径へ足を向けてみますと、川畔に
明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨(作者不詳)
と原文の彫られた石碑が建てられていますが、解読出来ない私としては内容を知りたくて帰宅後に調べてみると
明日香川(あすかがわ)、明日(あす)も渡(わた)らむ、石橋(いしはし)の、遠(とほ)き心は、思(おも)ほえぬかも
と読むということと、
明日香川(あすかがわ)を明日は渡って逢いに行きましょう。私の心は、石橋(いしばし)のように飛び飛びじゃなくって、ずっ〜とあなたのことを思っていますよ。
という万葉歌集に掲載されている歌である事が判り一安心・・・
ここで言う「石橋」とは川に敷設された飛び石のことで、橋の代用として生活道に利用されていたものだとも説明されています 11:04 再び旧道に戻り10分少々で県道15号に合流したあと数分で左手に189段の階段上に設えられているという飛鳥川上坐宇須多岐比賣命(あすかのかわかみにいますうすたきひめのみこと)神社の前を通りますが、こちらも帰宅後に調べてみると宇須多と彫られた文字については正しくは宇須多と書くのだそうで、どうして標石が間違ったままなのか?・・・と久々の疑問を残す事になってしまいました 11:14 やがて前方に明日香川を跨ぐ女綱(めづな)の掛けられた栢森(かやのもり)集落が見えてきますが、こちらの注連縄には女性のシンボルが掛けられていると紹介されています
ただ、稲淵の神事が神式で行われるのに対して栢森の神事は仏式で執り行われるところが大きな特徴であるとも紹介されています 11:15 女綱を潜ると明日香川に架けられた小さなコンクリートの橋と道標が右手に見えますので、ここで県道15号から右手に別れて石橋を渡る事になります 11:17 長閑な風景を楽しみながら緩やかな山裾の小径に取り付き、暫くは少しずつ低くなって行く栢森の集落を眺めながら 11:21 静かな雑木の中に続く古くから歩き継がれたユリ道を辿りますが 11:25 少し露岩の飛び出したやや急で荒れた山道に変わると長閑な雰囲気は姿を消して、一気に山道に様相を変えます 11:50 よく踏まれた古道脇の樹林が植林から雑木と竹林の入り交じった道に変わってくれば勾配も再び緩やかになり 11:51 一帯が竹林に変わると足元はフカフカに敷き詰められた落ち葉の絨毯が広がります 11:55 やがて周囲が殺風景な植林帯に戻ると足元も小石混じりの山道に戻り、左手に岡口門跡の名残りとなる石垣を見やり 11:59 数分で前方に土佐街道からの道が見え出すと、大手口二の門外に置かれている猿石のある辻に着きます
往時から城下町に通じる大手筋と明日香村に通ずる岡口門の分岐点になっていたそうですが、この石は花崗岩製の石造物で高さ85p/幅75p/厚さ65pからなる飛鳥時代からのものらしく、亀石マラ石酒船石等と同じように邪悪なモノの侵入を防ぐ目的で造られたのではないかとの推論と併せて「飛鳥の不思議な遺跡」の一つとして紹介されています 12:03 程なくハッキリとした石詰みの城郭が迎えてくれますが、ここが二ノ門跡という事でいよいよ日本最大の山城跡に踏み込む事になります 12:08 5分程で右手に国見櫓跡への道が岐れますがこの時は「わざわざ寄り道する程でも・・・」との思いから何気なく見送って通り過ぎてしまいます

実はこの国見櫓跡からは大和平野の素晴らしい絶景と併せて見事な夜景を眺める最高のビューポイントである事を帰宅後に「高取町観光ボランティアガイドの会」のサイトで知る事になりますが、時既に遅し・・・\(_ _ ;)ハンセイ… 12:13 続いて現れる三ノ門、矢場門の跡を過ぎると、少し石垣が崩れ掛けた松ノ門跡に迎えられます 12:13 さらに大きく背丈を伸ばした杉木立を辿ると前方に宇陀門跡の石垣がドッシリとした姿を見せます 12:16 道はほぼ平坦になって山頂部に着いた事を教えてくれますが、兵法に則って築城された右折れの原則を取り入れられた千早門跡を過ぎると城郭の核心部となる三の丸跡が現れ 12:20 程なく大手門跡を抜けると視界には広々とした景観が飛び込んできて二の丸跡に着きます 12:21 ここからは本丸跡と天守跡が一望出来る広場を通って、十三間多聞・十五間多聞・下の門・上の門と4箇所の門を経由しなければ本丸に辿り着く事が出来なかったそうですが、当時の高取城を再現したCG画像からもその大きさを推測する事ができます 12:24 そろそろ空腹感が頭を擡げて来ましたので、なるべく人混みのない場所を探して至福の一時としたいところですが、この本丸跡は少し風通しが良すぎるようでもう少し山頂部を歩いて昼食に適したスペースを探す事に・・・ 12:30 一旦本丸下に廻って、先程登った本丸の石垣西側に打たれた城址銘碑を見ながら右手に回りこみ 12:31 城下町から山上に連なった白壁を見上げた景観を詠ったと言われる
巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城
と彫られた歌碑を横目に見やって

土佐の城とは高取城の旧名で備中松山城・美濃岩村城とともに日本三大山城に数えられているそうですが、城内の面積約10,000u、周囲約3q、城郭全域の総面積約60,000u、周囲約30qにも及ぶ日本一の広さを誇る山城であると紹介されています 12:31 - 13:07 とりあえず天守台まで登ってみると予想外に風が弱そうなのでここで昼食タイムを楽しむ事にします
他にも景色を楽しみながらスケールの大きな山城を自分の目で確かめておられる観光客もノンビリと天守台を巡っておられます 穏やかな陽射しを受けて思い思いに弁当を広げますが、久々の顔合わせですので仕方がない事だと思いますが素晴らしい景観とは大きくかけ離れた内容の会話が飛び交う事になります

※山頂には2004年に歩いた時に踏んだ三等三角点(点名:高取 標高:583.61m)が打たれていますが、今回はウッカリと踏み忘れてしまいます (;_;) 13:17 ノンビリとタイムスリップを楽しんだ後は壺阪口門跡から山城を辞する事としますが、相変わらず暖かい午後の陽射し浴びてユックリ下山に取りかかります 13:18 このような山奥に先人の技で見事に積み上げられた石垣に圧倒されながら 13:33 八幡神社の西側を伝う山道を次の目的地である五百羅漢岩へ足を進める事になりますが 13:40 城壁から20分程で右手に大淀古道が岐れますので、ここからこの古道を下る事になります 13:43 1m幅の大淀古道は多くの人が通ったために大きくU字に抉れて少し歩きにくい道ですが、緩やかにそして時にはやや急な変化を見せながら山肌を西へ導かれると 13:56 - 13:58 墓石と小さな休憩設備が設えられた五百羅漢岩に着きますが、ここでもハイカーや観光客の姿を見かける事はありませんので静かな雰囲気に浸りながら次のポイントである壺阪寺へ向かいます 14:09 5分も古道を下ると舗装された県道119号(明日香清水谷線)の通る壺坂峠に降り立ちますので、ここから右手下方向に垣間見える壺阪寺を目指し県道を伝うと 14:18 - 14:20 10分弱で目の病に御利益があり西国三十三カ所第六番札所として親しまれている壺阪山南法華寺(通称壺坂寺)に着きますので少し足を休めます
境内の外からインド天竺渡来で高さ20mと言われる白い大観音石像を見上げてからザックに肩を通します 14:25 ここからはバス便もありますが、せっかく穏やかな天候にも恵まれた1日ですのでこのまま旧の参道を伝って壷阪山駅まで歩く事に異議が出る筈がありませんので 14:28 今日最後の山道歩きを楽しむ事としますが 14:38 下り始めて10分もしないうちに静かだった参道は車道(県道15号)に合流しますが 14:40 振り返ってみてもほとんど自動車が通らない事で静けさだけは保たれているのがせめてもの救いでしょうか 15:18 やがて清水谷の集落に入り、右手に赤坂池を見やるとすぐ左手に信楽寺を見る事が出来るのでチョット立ち寄って、浪曲「壺坂霊験記」の由来となったお里・沢市の墓所を参詣しますが周囲をよく観ると意外な程多くの観光客が行き来されている事が少し気になりますが 15:27 - 15:30 道に面した民家に毛氈が敷かれて雛人形が飾られているのを見て、改めて今日が3月3日である事を再認識しますが、他にも道に面した部屋に雛人形が飾られているのが判ったところで始めて多くの人並みの意味が理解できます
とりあえず札ノ辻まで進んだ後、初めてのメンバーもいるので一旦右手に折れてナマコ壁で有名な武家屋敷・植村家長屋門までピストンします 15:49 再び札ノ辻まで戻って直進すると相変わらずの人出に混じって軒下に置かれた「町家のひな巡り」リーフレットが目に留まり、人出の多い理由がやっと判りました
人混みを縫って土佐街道を北上すると高取藩の下屋敷表門が移築されたと言われる石川医院の前を通りますので記念に1枚・・・ 15:59 まだまだ「ひな巡り」の民家が続きますが、本来の目的であった高取城址ハイキングも無事終わりましたので今回のゴール壷阪山駅に到着し、待つ事30分程で16時22分発の急行に乗り込んで反省会場まで直行して今回の山行は無事終了しました ページの先頭へ