老ノ坂峠 〜 大枝山〜大暑山〜小塩山(642.0m) 〜 灰方
コース概念図 oeyama-h.gif
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2009年02月28日 (土曜日)晴れ メンバー:単独
歩行距離 12.1q/歩行時間 5時間03分 (休憩時間 0時間45分) 所要時間 5時間48分
10:14 2月の山歩きは断念する事になるのかな?と半分(以上)諦めかけていたところ、当日朝になって突然OKの許可が・・・

早速準備を整えて自宅を後にして予てより気になっていたコースの出発地点へ、阪急電車・桂駅から京阪京都交通バスに乗り継いで25分、気温10℃の老ノ坂峠バス停に降り立ちノンビリと通行量の多い国道9号線を西方向へスタートします。 10:22 車道端を50m程伝うと大きな口を開けて次々に車両を飲み込み、そして吐き出している老ノ坂トンネルに着く手前で、左(=南)方向へ伸びる3m幅の舗装路へ足を進めます。 10:22 狭い山間の峠道を抜けると旧山陰道の要衝として邪悪から平安京を防衛する最前線として“大江関(おおえのせき)”が設置されたそうで、当時は大江坂(おおえのさか)と呼ばれていたものが変化して老ノ坂になったとか・・・ 10:29 すぐに僅かな田畑と古い民家が残る老ノ坂集落に出ますが、往時には屋敷も建ち並び丹波の産物市で賑わった場所だったとも書き記されています。 10:32 さらに旧道を少し辿ると「従是東山城國」(これより東、山城の国)と彫られた山城と丹波(現在の京都市と亀岡市)の国境を示す境界石が右手から迎えてくれますが、古くから歌枕の地としても有名で交通・軍事の要所として著名な武将がここを通過したことでも知られ、一の谷の合戦の源義経、六波羅探題攻撃の足利高氏、本能寺の変の明智光秀などは皆ここを通って戦地に向かったと紹介されています。

※勿論歴史に疎い私にとっては知らなかった史実ですが・・・ 10:33 - 10:36 そして左手前方には樹林に囲まれた小高い丘が見えますが、平安時代中期に源頼光と四天王(渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光)によって成敗された酒呑童子の首級を埋めたと伝えられる首塚大明神ですので立ち寄って見ることとします。 鳥居を潜り鞍馬山の木の根道を連想させる樹間を辿ると 丘の上に首塚大明神が祀られていますが、横に建てられた由緒書きによれば“首より上の病気に霊験があらたかである”と書かれていますので、ひょっとすると近頃気になる私の認知症も直るかも・・・ 10:38 首塚大明神を辞して、先程通った境界石まで戻り、分岐を左へ採って車止めの遮断機を抜けて倉庫?の間を抜けて南に足を進めると 10:49 車が入れる道はすぐ終点になりますが、事前にチェックしたレポにあるヤブ道の取り付きが判らないまま細い沢沿いの杣道を辿ることになります。 10:52 朽ちた細い丸木橋も現れ、間違いなくよく歩かれた道であることを確認して橋の横を飛び石で徒渉して少し進むと 10:56 足下に落差4m程の小滝が現れるので右下に見やって沢を左岸へ渡ります。 11:00 木漏れ日を受けながら静かな沢沿いの水平道を南南西方向に伝って行くので、南南東方向にある大枝山からは少しずつ離れて行く事が気になりますがもう少し様子を見てみることにして快適な歩きを楽しむ事とします。 11:03 やがて谷筋が広がり足元に敷き詰められた落ち葉の乾いた小気味よい音に癒されながら足を進めると、ルートは緩やかに左方向へ曲がりながら登り出し 11:05 100mも伝うと四つ辻になった峠に着きますので、ここで大枝山のある左(=東)方向に続くなだらかな尾根道に足を進めます。 11:07 道は右手に切れ込んだ谷を大きく左から回り込むように山肌を伝い 11:10 程なく地形図で丁度大枝山から真西に伸びる尾根を横切る送電線が見えてくると、左に登る分岐が現れます。
道標はありませんがハッキリとした尾根道が目に付きますので快適な捲き道と岐れてこの尾根道に取り付きます。 11:23 15分程樹間を辿るやや急な坂が続き息が弾み出す頃、尾根尻に着いて再び平坦な広尾根を東に伝うと 11:25 樹林が途切れて視界が開けて前方から関電鉄塔(西京都島原線 #7)の出迎えを受けると、左(=北)方向にはにドッシリとした愛宕山の美しい山容が目に飛び込んできます。 11:34 少し呼吸を整えた後はほとんど起伏のない尾根道を東へ10分程伝うと大枝山から南に延びる稜線に辿り着きますので、一旦大枝山のピーク目指して左(=北)方向へ足を進める事とします。
すぐそこが鬼伝説の残る山だと思うと自然にピッチも上がりますが・・・ 11:39 - 11:45 樹林が途切れ目の前に切り開かれた広い台地が現れると、そこには角のようにアンテナを突き上げたNTT無線中継所が居座っているだけで、想像していた景観は何処にも見あたりません。
そして張り巡らされたフェンスの横には「標高 456.0m」と書かれた測量板が打たれていますが、事前に入手した情報では大枝山の標高は480mと紹介されていますので山頂部の30m程は削り取られた事になり、今となっては鬼の潜めそうな空間もまったく見つけることが出来ません。

フェンスを一巡りした後、案内書では車道を辿り西山団地の中を伝うように書かれていたのですが、先程登り着いた地点まで稜線を戻って見る事にして 11:49 登り着いた地点まで戻ってみると、ここから先(=南方向)にも快適な尾根道が伸びて行きますが手元の地形図を確かめても特に大暑山までの間に障害がなさそうなので、この尾根道を南に伝って見ることにします。 11:51 2〜3分で道脇に打たれた石柱が目に付きます。
石柱には「従是栗山所有地」と彫られていますのでこの先は“栗山”さんの私有地を歩かさせて戴くことになり 11:53 時々現れる境界石柱に見送られながら快適な尾根道に足を進めると正面方向にこの後立ち寄る予定の大暑山が木の間越にチラチラと姿を現しますので、案内書のコースより快適なコースがあることに満足感を味わいますが・・・ 12:05 やがて尾根道が突然消滅すると目の前には切り立ったV字状の谷が大暑山への進路を遮ります。
改めて案内書のルートが大きく西山団地へ迂回していた意味に気が付きますが、地形図では10m程のなだらかな谷ですので少し冒険してみる事にして雑木に掴まりながら急斜面を下って見ますが、対岸の斜面は強烈なヤブで登る気にはなりませんので谷を左へ遡行して一旦西山団地に伝い上がり、案内書のルートに合流します。 12:31 西山団地の南端を抜けると大暑山への取り付きとなるグラウンドが迎えてくれますので、少し空腹も気になりますが大広間を借り切っての食事は晴れがましい事もありもう少し先に進む事にします。 12:33 グラウンドの南側に付けられた遊歩道を進むと丁字状の三差路に達しますが、関電の標識(#8)の示す右方向の道がこれから訪れる大暑山への取り付きになります。 12:38 午後の陽射しを浴びながら緩やかな尾根に沿って高度を上げて行くと 12:50 10分少々で分岐のある平坦な山頂部に登り着きますが、山頂は右(=北西)方向になりますのでこの分岐を右に採る事になります。 12:53 - 13:26 ほんの7〜80mも足を運べば三等三角点(点名:大原野 標高:567.56m)の打たれた大暑山(567.9m)山頂に着きますので、ノンビリと遅めの昼食タイムとします。

※山頂には最近付けられたばかりの山名板が目に付きますが古い“山と○○地図”から標高を引用されたようで、国土地理院の最新地形図とは0.2mの差異が見受けられますが、せっかく付けるのであればよく確かめて最新の標高を書かれたほうが良かったのでは・・と少し気の毒な気がします。 13:27 食後は山頂への分岐まで戻り、往路で辿ってきた道を左に見やって樹林に続く尾根筋を南西方向に伝う事になります。 13:30 疎らな雑木を通して前方にウッスラと見える小塩山が今日最後に訪ねる山ですが、シーズンを外したこの時期ですから静かに迎えてくれる事に期待しながら気持ちの良い尾根道を伝うと 13:37 5分少々で尾根上の小さなコブに出ます。
雑木の切れ目から右後方に大きく横たわる愛宕山と最初に立ち寄った大枝山の中継アンテナが名残惜しそうに見送ってくれるようですが 13:38 すぐに現れる道標のない分岐ではもう少しで小塩山を断念することに・・・
よく踏まれた右への道は支尾根から542mのコブを踏んで外畑方面へ下るルートですのでここでは左へ進まなければならないところを、集中力が欠けていたためでしょう、ウッカリと右に進み小塩山から離れて行くことに気が付いて軌道修正する事が出来ました。 13:57 やがて物々しい電柵で周囲を囲った異様な感じの建物が現れますので足早に林道を辿ると 13:59 道角に「大原野市有林」の看板が立てられた三差路に出ますので、この辻を右折して暫く舗装された専用車道を 14:05 ものの5分も辿ると左手に“南春日バス停”への道が別れますが、 14:06 右手にも細い山道が登って行きます。
この道が淳和天皇陵墓のある小塩山への登山ルートですのでここを右折すると 14:11 道は程よい勾配で山頂に向かい、広く凸凹の少ないルートですので余裕を持って周囲の景色を楽しみながら足を運ぶ事が出来ます。 14:23 山頂部に着くと再び専用車道に合流するので少し右前方に見える放送局の送信アンテナが建つ東峰へまず立ち寄る事にします。
山頂からは展望が開けますが靄(それとも黄砂?)の影響で遠望を期待することは出来ませんので、少し足を休めるだけで東峰を後にします。 14:29 - 14:32 次いで西方向の樹林を抜けるとすぐピークのある西峰(642m)ですが、山頂には自身の意向により火葬に付されたという淳和天皇(第53代)の陵墓がありますので参拝して帰路に着くこととします。

※淳和天皇の遺骨はこの山頂付近で散骨されたと言われ、そのため山麓には出灰(いずりは)や灰方(はいがた)などの地名が残ったと伝えられています。 14:39 元来た専用車道を少し戻ると左手に建てられた建設省(現・国土交通省)京都国道工事事務所の無線中継所を見やりますが 14:39 すぐ右手に南春日バス停方向に下る天皇陵道が目に付きますのでこの道を下って金蔵寺に立ち寄る事とします。 14:50 このコースもカタクリの見頃になると多くのにわかハイカー等で賑わう事になりますが、シーズンを外したこの時期は出会う人もありませんので静かな山歩きを存分に満喫しながらノンビリと山肌を下る事になり 14:56 無線中継所から15分程で金蔵寺への分岐が迎えてくれますので、天皇陵道と別れてこの分岐を右へ下ることとします。 15:03 整備の行き届いた山道なので道標も必要ない程ですが、適当なポイントに立って進む方向を案内してくれるので初めて訪れるハイカーでも安心して山歩きを楽しむことが出来ます。 15:07 分岐から10分程で金蔵寺・愛宕大権現堂の横に降り立ちますが、秋の紅葉で賑わう境内も今はひっそりとした佇まいで迎えてくれますのでノンビリと境内を散策しながら 15:12 さらに石段を下ると左手から護摩堂の見送りを受けて、この季節ならではの静かな「今昔物語」ゆかりの金蔵寺を辞し仁王門の見送りを受けて石段を下ります。 15:20 下山は車道を避けて東海自然歩道の通る散策道路からウンザリする程舗装道路の続く府道733号・柚原向日線を伝って、 16:02 40分程の我慢歩きで無事灰方バス停に到着です。

幸運なことにバス停への到着を待ってくれていたように16時03分発の阪急バスにすぐ乗ることが出来、身体が冷えないうちに阪急・東向日駅まで移動した後1人反省会で2月の山歩きを打ち上げました。 ページの先頭へ