鋼索道跡 〜 愛宕山鋼索道(718m) 〜 ツツジ尾根 |
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2007年06月27日 (水曜日)晴れ一時曇り メンバー:4名 |
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歩行距離 9.2q/歩行時間 4時間54分 (休憩時間 1時間10分) 所要時間 6時間04分 |
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到着 - 出発 | 《ルートポイントのあらまし》 |
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09:38 |
今回は戦火に翻弄されて廃業を余儀なくされたという愛宕山鋼索線を辿り、保津峡まで下った後保津川下りの船を上流まで引き上げた“船曳道”を嵐山まで辿る事にした 阪急嵐山線・嵐山駅でメンバーと待ち合わせ渡月橋を渡って京都バス・京福嵐山駅前から清滝行きに乗り継いで10分で清滝バス停に到着し、薄雲の広がった空には少し青空も顔を覗かせているが手元の温度計では気温28℃ ※一般的にはあまり知られていないようだが、このバス停を含めて途中で潜った狭い清滝トンネルも戦火に弄ばれた愛宕山鉄道跡地を最大限活用されている |
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09:40 | 準備が整ったところでバス停横から清滝川左岸への舗装路をノンビリと伝い | |
09:42 |
坂を下りきった所で紅い欄干の付けられた渡猿橋を右岸に渡る 今の季節は観光シーズンから外れているので清滝の集落も静かな佇まいで我々を迎えてくれる |
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09:44 | やがて表登山道への入口となる二の鳥居前に着くので飲料補給等の最終準備を整えるが、 | |
09:45 |
この間にすぐ後ろを歩いて来られた3人の女性パーティーに道を譲ると、そのまま鳥居を潜って表参道を登って行かれた 我々はこの分岐を右手の高雄方面に一旦進む事になる |
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09:47 |
二の鳥居右側に往時の“ケーブル清滝川駅跡”の説明板や当時の面影を残す石積み、敷設されていたであろう線路跡が目に入るといよいよ昭和4年(1929年)以後15年に亘って多くの人々で賑わったと言われる、当時“長さ東洋一”を売り物にしていたケーブル道へ足を進めることになる ※このケーブル道は戦火の拡大で鉄材の強制拠出を余儀なくされ、昭和19年(1944年)に廃線となった愛宕山7合目までの2qに亘って敷かれた鋼索道であると詳しく案内されている |
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09:49 | ケーブル道の取付はよく整備された緩やかな傾斜地から始まり、道脇には自然林が広がって柔らかな緑色に覆われた風景に癒されながらケーブル清滝川駅舎跡を後にすると | |
09:50 | すぐ左上に見える表登山道に沿って堀割のように石垣で囲われた線路跡を進む事になる | |
09:53 | 駅舎跡から5分程で、今までつかず離れず並んでいた表登山道が左へ離れて行くが、ここから先は一般ハイカーが迷い込まないようにトラロープが張られて“←愛宕登山 表参道”と書かれた手製の道標が付けられている | |
09:55 | 張られたロープを跨いで徐々に傾斜が強くなる線路跡を進むが、ところどころに進路を妨げるように横たわる倒木が現れるのを避けながらの線路跡歩きとなる | |
09:57 |
やがて第1橋梁を過ぎて切り通しの山肌が迫ってくると最初のトンネルに着く 左へ緩くカーブする第1トンネルは60m程の長さと思われるが足元が暗いので用意してきたヘッ電を点灯して通り抜けることになる |
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10:02 |
トンネルを抜けると一面下草に覆われて線路跡すら目にすることが出来なくなる 恐らく土石流や土砂崩れで線路跡が埋められた跡に下草が生い茂ったようで、ここは足探りで踏み跡を辿る事になる |
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10:04 | 相変わらず左へ緩やかな弧を描くように続く線路跡を辿ると、程なく25m程の第2トンネルが姿を現す | |
10:06 |
この辺りから徐々に勾配が急になってくる 右側が開けた山肌を進むと見晴らしの良い第2橋梁跡を渡る |
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10:11 | 橋梁の次には第3トンネルが待ち構えているが、事前に入手した情報では「入り口からすぐのところで崩壊している」と案内されているので、踏み跡を辿って右手の山肌を捲く事になる | |
10:12 | 捲き道は比較的緩やかな勾配で山肌を右手から大きく回り込むように明確に付けられているので、雑木越しにチラチラと垣間見える風景も楽しむ事が出来る | |
10:18 - 10:20 | 軌道跡を離れて凡そ10分で第3トンネルの迂回ルートから愛宕駅側の入口に着くので最初の休憩で足を休めながら吹き出した汗が引くのを待つ | |
10:22 | 歩き始めるとすぐ軌道跡は土砂に埋もれて軌道敷があったことさえ判らなくなってしまう | |
10:27 | やがて切り通しを抜けると急勾配の谷筋を跨ぐ第3橋梁に迎えられるが、依然として緩やかな左へのカーブは続く | |
10:29 | 橋梁の先には小さな支尾根を貫く20m程の第4トンネルが口を開けている | |
10:30 | トンネルの中は意外な程風化されてなくて、今でも充分使用に耐えるのではないかと思える程しっかりとした造りに感心しながら勾配の増してきた軌道跡を一歩ずつ辿る | |
10:32 | トンネルを抜けると軌道幅が広くなるが、丁度中間地点に着いたようで振り返るとトンネル幅も清滝側より愛宕側が広くなっている事が判る | |
10:34 | 中間地点を過ぎると右手の展望が開け、第4橋梁から丹波方面の山並みを見やって複線から単線に戻った軌道跡を横目に右足下がりの鋼索道を伝う | |
10:43 | 第4トンネルから10分程で、こちらも入口からすぐのところで崩壊が著しい(らしい)第5トンネルに到着するので、ここでも右手方向への迂回ルートに足を進める | |
10:48 | 第3トンネルの迂回ルートとは大きく異なり、いきなり植林帯に付けられたテープ頼りの激登りの歓迎を受ける | |
10:51 | 心細い踏み跡の迂回ルートもやがて50p幅の比較的良く踏まれた道に登り着くので、右(=北)方向に回り込む捲き道を伝う | |
10:56 |
捲き道は良く踏まれているので、古くから利用されている道のようだが手元の地図には勿論何の表示も書かれてない 今は第5トンネルの愛宕側入口に出ることを確信して快適な雑木帯を道なりに辿ってみる |
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10:59 - 11:02 |
道がやや急な登りになってくると突然ほぼ水平に山腹を通る作業林道と交差するので少し広い道で2回目の休憩を挟む ※ほぼ水平に交差する道は作業用林道で地図にも大杉谷と5合目を結ぶルートとして記載されている |
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11:03 | 水平な作業用林道を横切って50p幅の捲き道を緩やかに左へ捲きながら少し下り気味に足を進める | |
11:05 | 良く踏まれた細い雑木の中の中腹道をほんの少し進むとすぐ第5トンネルの愛宕側入口横に出る | |
11:06 | 軌道跡のコンクリートには滑りやすい苔が一面に付着しているので足運びにも注意を払いながら一段一段階段状の第5橋梁の礎石伝いに足を運び上げる | |
11:12 | 数分で最後の第6トンネルを潜り抜けるが、一番短いトンネルで長さは15m程か? | |
11:15 |
トンネルを抜けると一部が大きく崩壊した第6橋梁を左から通り過ぎる この橋梁は相当高い所に架けられているので足元に十分注意して崩落箇所を通過する必要がある |
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11:16 | 橋梁を越えたところから振り返ると大きく口を開いた第6トンネルが見送ってくれる | |
11:18 | 右手方向が大きく開けると鋼索道中一番のビューポイントに着くが、レースのカーテンを通したように京都西山の小さな連なりと背景に微かに輪郭を見せる京都北山がウッスラと目に入る程度に靄っている | |
11:19 | やがて放置された工事用資材が目に着き出すと自然林に覆われた薄暗い雑木のトンネルを潜る事になる | |
11:31 | 振り返ると先程通り抜けた第6トンネルをハッキリと見ることが出来るので、今まで緩やかに左カーブしていた軌道跡もこの辺りまで来ると直っすぐに伸びている事が判る | |
11:33 | 前方に駅舎らしい建物が見え出すと愛宕駅ホーム跡に登り着く | |
11:35 - 11:50 |
ホーム右側から駅舎跡を回り込んで風化の進む駅舎内部を見やると、麓の清滝川駅跡から2時間弱で愛宕駅舎正面に着く 現在の気温は23℃と快適な空気に伝い落ちる汗も少しずつ退いて行く ※当時は周辺にホテルや遊園地があって愛宕山詣での参詣者や観光客で賑わったそうだが、少しずつ大自然の復元力によって昔の姿に戻って行くようだ |
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※正面玄関から駅舎跡を見ると2階部分は一面の苔に覆われて、60年超という歳月の重みをズッシリと感じる | ||
11:51 | 昼食にはまだ少し早いようなので、足を休めた後は前方やや左に伸びる自然林の中に付けられた平坦な道に足を進め | |
11:51 | 当時の建物跡や石垣の面影を目で追いながら平坦な道をノンビリ辿ると | |
11:56 |
5分程で表登山道・水尾岐れのすぐ上部に飛び出す 振り返れば良く踏まれた樹間の道があるだけで、当時の面影を残す構築物等は完全に視界から消えている |
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11:56 | 合流点からは右手(=山頂方面)にも左手(=清滝方面)にも緩やかな坂が続いていて、右へ40分も登ると“がんばり坂”を経て愛宕神社のある愛宕山山頂(924m)に登り着く事になるが、今は左への道を下る事とする | |
12:03 |
すぐ休憩小屋の建つ水尾岐れに着くが、ここから右に40分程下ると柚風呂で知られる水尾の里に、そして左を摂れば表参道の清滝に通じている 今は清滝へ降りる左への緩やかな坂道を一旦下ることになる |
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12:07 | 表登山道を数分下ると右手に参道から別れる尾根道が現れるのでこの分岐を右に足を進める | |
12:08 | 左下に表登山道を見下ろしながら道は明神谷西尾根を南東方向へ緩やかに伸びて行く | |
12:17 | なだらかで快適に続いた尾根道は明神谷西尾根を離れ、右手(=南)に走る長坂谷方向に折れると勾配も急になって来る | |
12:37 - 13:19 | ジグザグの急下りを20分程でコメカイ道と交わる長坂谷峠に降り立つので、道端に適当なスペースを確保して少し遅めの昼食を摂ることとする | |
13:20 | 食後は長坂谷へ下るコメカイ道を左に見送り、植林に囲まれて木漏れ日の射すツツジ尾根へ足を進める | |
13:26 | 気持ちの良い平坦な尾根道は植林帯から雑木帯に変わるが、依然として眺望が開けることはなさそうで周囲に広がる樹林と足元に注意しながら少しずつ下って行く | |
13:39 | 突然右手の雑木林が途切れると、今回訪れることが出来なかった愛宕山が右手後方から堂々とした姿を見せて見送ってくれる | |
14:04 |
左右に深い溝を刻む谷筋が少しずつ迫ってきて、途中まで広く感じていた尾根も徐々にヤセてくると尾根尻に到着する 右手下には特徴のある紅い保津峡橋が見え始めると |
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14:07 | 急峻な壁岩の右横に付けられたジグザグの急坂を下り切って愛宕山登り口に降り立つ | |
14:14 | ここを右に進むと保津峡橋を渡ってJR保津峡駅や水尾の里に通じているが、今はトロッコ保津峡駅を目指すので保津川と保津峡駅を右手に見やって左への舗装道路に足を進める事になる | |
14:16 | 緩やかな登り坂を進むとすぐ壁岩にくり抜かれた鵜飼トンネルを潜り抜ける | |
14:23 |
そして緩やかに坂を下ると右に折り返すように下る鵜飼橋への道が現れる ここで右へ下ると、橋の向こうにトロッコ保津峡駅が見える |
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14:23 | 売店“丸源”の前から鵜飼橋を渡りトロッコ保津峡駅の下へ出て | |
14:25 | 橋の左奥から川畔に降りることとする | |
14:26 | 階段を降りて、いよいよ保津川右岸の船曳道を嵐山まで辿ることになるが、この時点では川の水が濁っていたり水面に顔を出している岩が少ないことに殆ど気づかないまま船曳道トレックをスタートする | |
14:27 | 案内書やWebサイトによれば正面に見える山上ヶ峰から北に派生した尾根の鼻までの間が、船曳道の崩壊などで相当タフな道だと言うことを頭に入れて右岸沿いをノンビリと進んで行くと | |
14:29 |
やがてコンクリートで固められた川壁から自然石伝いのルートに変わってくる どのようなヘツリや高捲きが出迎えてくれるのかワクワクしながら一歩ずつ岩道を伝うと |
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14:35 | まず左が切り立った岩壁の出迎えを受けるのでこの岩を乗り越えることになる | |
14:37 | トラロープの張られた狭いテラスを通って岩壁をへツリ | |
14:53 |
トラロープの付けられたほぼ垂直なルンゼを下ってやっと最初の岩壁をクリアするが、次の岩壁は捲きルートを探ってみるがどう見てもヘツル以外に通り抜けることが出来そうにない さらに増水のため足場となる岩も水没してヘツる事が出来ないので潔く今回は撤退することとする |
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15:42 |
再び鵜飼橋まで戻って最後の休憩をはさむ ここからトロッコの線路伝いに少し進んで山上ヶ峰への林道を経由して尾根の鼻先へ出るルートもあるのだが次の機会にでも考えることとしよう 往路で素通りした“丸源”の主人に水量を訪ねて見ると「今日は増水で船下りも休んでいるぐらいやから、船曳道は当然通れんかったやろう」との答えを戴き、取りあえず納得して府道50号・京都日吉美山線を戻るようにJR保津峡駅に着く |
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16:26 | 20分程舗装道路を伝ってさがの温泉・天山の湯に立ち寄り、併せて反省会も済ませたが次回への課題を残したままの家路となってしまった |