赤阪城址 〜 坊領山〜白雲岳(645m) 〜 朝原寺跡
コース概念図 コース断面図
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2007年01月22日 (月曜日)晴れ メンバー:単独
歩行距離 20.4q/歩行時間 7時間19分 (休憩時間 0時間38分) 所要時間 7時間57分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
09:36 - 09:41 近鉄南大阪線・富田林で金剛バスに乗り継いで15分、森屋バス停でバスを降りて舗装道路を金剛山方向に150m程進んだところで左に向い、緩やかな坂道を辿って「道の駅・ちはやあかさか」へ移動する

今回は新しい靴の履き心地を試しながら地図上の“点線の道”を辿る事とする
身支度を整えたところで“日本一かわいい「道の駅・ちはやあかさか」”の横に祀られた楠公(楠木正成)誕生地と掘られた石標前から、快晴・気温10℃の中をスタートする

09:43 石標のすぐ東隣に建つ“日本一かわいい”道の駅で飲み物を調達して舗装路を南に辿る
09:46 眩しい朝の陽光を左正面から浴びて緩やかな坂道にノンビリと足を進めると
09:50 道路左上の高台に建てられた奉建塔(楠木正成の顕彰碑)が静かに見おろしてくれる
09:55 行く手正面にこれから訪ねる上赤阪城址のある赤坂山が見えてくると二河原邊(にがらべ)集落に入る
10:00 道の駅をスタートして20分で広域農道・南河内グリーンロードと交差するので、ここを右折して二河原邊橋を渡る
10:04 2車線の舗装路を50mも進むと緩やかに右へカーブする
頭上に「←上赤阪城址」と書かれた案内標が下げられているのでここを左折する

※道の角に設けられた周辺拡大図でこれから辿るルートを確認してみるが上赤阪城址から先は描かれていないので確かめることは出来ない

10:04 カラー舗装された川沿いの道を緩やかに登ると
10:07 やがてコンモリとした丘に続く分岐が現れ、今辿ってきた舗装道路は山裾を左へ捲いて行くので右への小高い丘へ続く緩やかな「城坂」に足を進める

※ここが今回のコースの取り付き点になるが、今回は冬枯れの時期でなければ困難と思われるヤブ道(地図上の“点線の道”)を金剛山まで辿ってみることだ

10:09 すぐ左手から一の木戸と呼ばれる城門跡に迎えられる

※詳しいコース案内が“金剛山登山道情報サイトで公開されている

10:11 やや急なU字状に抉れた道だが、足を進める度にカサカサと乾いた音を聞かせてくれる落ち葉と暖かな木漏れ日に癒されながら一歩一歩高度を上げてゆく
10:14 一の木戸跡から50m程やや急な坂を登ると勾配も緩やかになり二の木戸跡の出迎えを受ける事になるが、道端に建てられた案内板がなければ木戸跡とは全く気が着くことはないだろう
10:18 さらに200m程で三の木戸跡を通過する
ここにも案内板が設けられているので事前の調査不足を少し補う事が出来る
10:21 そして2重の堀が巡らされていたと伝えられるそろばん橋を過ぎるとすぐ四の木戸跡に着く
10:24 すぐ左手に二の丸跡を見上げて進むと道の左側に植林が現れ、まるで横たわったヘビを跨いで通るように足元に注意しながら露出した根っ子道を通り過ぎる
10:27 山道に取り付いて20分程で茶碗原と呼ばれるT字分岐に突き当たる
二の丸跡に立ち寄るには左手方向に進む事になるが今回は長距離を辿ることになるのでこのまま本丸跡に向かうので右方向へ足を進めると
10:30 程なく一段と高くなった山頂部直下に着くので本丸跡に登って見ることにする
10:31 本丸が建てられていたという赤坂山の山頂部は平坦な地形になっているので千畳敷きの別名が付けられているそうだ
10:32 千畳敷の北側からは、二上山・生駒山地を背景に富田林の市街地が大きく目の前に広がっている
そして足元には小さな手作りの山名板が遠慮気味に顔を覗かせている
10:38 パノラマを楽しんだ後は先程の本丸下まで戻って、右手(=南)方向に下る細い山道に足を進める
細い山道はやがて落ち葉に覆われた左下がりの滑りやすい傾斜面を横切る様に尾根直下を南へ伝うように伸びる
10:47 道は植林帯を縫って10分近くでT字分岐に突き当たるので戻り気味に右への急なヤブ道を上る
登りきったところで右手から尾根伝いの道が合流してくるが、この辺りに砦が築かれていたのだろうか砦跡と書かれた杭が無造作に打たれている
10:48 樹林の中に続く道は予想外にハッキリしているが、不明瞭な分岐も何カ所か現れるので樹木のところどころに捲かれた赤いテープを見落とさないように目で拾いながら尾根筋に足を進める事になる
10:52 やがて夏場であればとても通れそうにない笹薮に付けられたトンネルを潜るように通り抜けて
11:03 再び樹林帯を縫って足を進めるが、地図とコンパスと赤いテープをシッカリ読んで忠実に尾根筋を辿る事が要求される
小さな起伏を繰り返しながら尾根筋は南東方向に伸びて行くと本丸下から25分程で上猫路(かみねこじ)城跡のある猫路山(405m)に辿り着くる
※ここに“猫路城跡”と書かれた杭が打たれているが、地図によると本来の猫路城跡はアシ谷の北に伸びる鞍取坂ルートにあるようなのでこれは間違いでは?・・・
11:09 道は一旦右手方向に折れて再び南東方向へ伸びて行く
この辺りが一番枝道の輻輳した核心部のようだが、赤や黄色のテープを確実に拾いながら植林と雑木の混じったヤブ尾根を進む事になる
11:15 背丈程のササに視界を遮られるが足探りで踏み跡を辿り、やや急なコブを登ったところでT字分岐に出るのでここを左へ進むが、右手には少し展望の開けた台地があるのでチョット寄り道して見る

※左側に見える丸い山が本宮城趾のある不本見(もとみず)山で右の平たい部分が先程通ってきた猫路山だ

11:19 眺望を楽しんだ後はT字路まで戻って直進する
数分で左にアシ谷へ下る細いヤブ道が分岐しているが今は尾根筋に伸びる細い踏み跡を緩やかに登る

※足元の関電巡視路を示す標識には小さく“アシ谷”と書かれている

11:25 やがて道は岩が飛び出して歩き難い急坂を登ることになるが、コース上に積もった落ち葉に隠れた倒木や露岩で躓いたり捻挫しないよう充分注意して足を進める
11:32 勾配は更に増してくるが右手前方が少し開けて送電鉄塔が垣間見えて来る
右への踏み跡を辿って1つ目の送電鉄塔下に立ち寄ってみるがほとんど展望もないのですぐ元の踏み跡に戻る
11:36 暫く続く急坂も数分で2つ目の送電鉄塔に到着すると幾分緩やかになってくる
ここは鉄塔の下を直線的に潜り抜けて樹林の中を辿ることになる
11:37 さらに静かな植林の中を緩やかに登って行くと、やがて道の両側に繁るササに挟まれた気持ちよい道に変わる
11:41 途中には踏み跡を塞ぐように横たわる古い倒木も現れるが、踏み跡は左から難なく乗り越えて前方に伸びている
11:53 ほんの少しでヤブ道が途切れて古い登山道が姿を現すと右下がりの傾斜地が大きく崩落しているところに着くので、踏み外さないよう注意して傾斜地に付けられた丸木橋を通過する
小さな起伏を楽しみながら10分程進むと坊領山(645m)の右中腹を通り抜ける事になるが、この山にも坊領城址があったそうだが事前の調査不足が災いして2〜3分で立ち寄れる史跡?を見落とす事になってしまった
12:01 - 12:21 さらに尾根筋を確かめながら心細い踏み跡を辿ると目の前に3つ目の送電鉄塔が現れる
鉄塔下は広く平坦になっているのでここで昼食タイムを挟むことにする
12:34 食後は進行方向を少し東南東方向に替えて尾根道を緩やかに登る事になる
鉄塔から15分近く足を進めると踏み跡が左右に分かれるが、ややハッキリと踏み跡の残る右に足を進める
ここを左に進めば今でも礎石が残っている坊領千軒跡に立ち寄れたようだが、ここでも事前の調査不足が災いして見落とす結果になってしまう
右への道を少し進むと猪のヌタ場と思しき泥濘の出迎えと見送りを受けながら、緩やかに樹林を縫って足を進める
12:37 目の前の山肌が少しずつ急傾斜になってくると、コースが横切るように伸びる樹間の道も勾配を徐々に増してくる
12:52 やがて見上げるような急勾配が植林の中を登って行く
登り坂に取り付くと後に滑り落ちそうな強烈な急坂が待ち構えているので幹や露出した根に掴まりながらユックリ足を進める事になる
13:06 喘ぎながらの急勾配に耐えながら15分上り詰めると、やがて右手から清井山(809m)からのルートが合流してくるのでここは左へのやや緩やかな登りに足を進める
13:09 徐々に勾配が緩くなって来ると植林越しに前方が少し明るく見え出す
13:12 やがて左手の樹林が切り開かれて無線中継所跡の金網が見えてくるので、その右手を通り抜けて
13:13 3つ目の送電鉄塔を後にして50分で道はT字路に突き当たる
ここで水分道・青崩道が左から合流してくるので右へ少し下り気味に足を進める
13:16 ほんの数分で道端にベンチとコース案内板が置かれたセトに到着する
右手下方から黒栂谷からのコースが樹林の急勾配を縫って合流してくるが、その黒栂谷ルートを見やりながら山頂を目指する
13:21 セトから5分程歩いたところでこの日初めてのハイカーとすれ違う
13:25 山頂へ続く道は倒木や岩が散乱して荒れているが、先程まで歩いてきた踏み跡中心の坊領コースとは比べものにならない程広く整備された道に見える
13:39 セトと国見城址との中間に近づくと大きな岩が門番のように道を塞いでいる所を通過する
ここまで来ると道端には溶け残った雪が少し目に付き出す
13:44 足元の雪が少し多くなってくると右手下方に広がる木々の枝に着いた名残りの樹氷が目を楽しませてくれます
13:53 - 13:57 セトから35分程で足元に雪が残る国見城址に登り着くと、山頂広場では20人ほどのハイカーが思い思いに食後の一時をノンビリと楽しまれている風景が目に入る
14:00 社務所〜転法輪寺と足を進めると足元に敷き詰められた雪の量も更に増えてくるので、坂道を通過するハイカーは皆さん転倒に注意してへっぴり腰でそろそろと歩かれている
14:00 名残雪に覆われた転法輪寺への階段を見やって最高地点に建つ葛木神社に向かうと、
14:02 すぐ右手から夫婦杉の見送りを受ける
14:06 葛木神社を過ぎると急な下りが待ち構えているので積もった雪で滑らないよう小刻みにユックリ下る
右手から仁王杉の出迎えを受けると急な下りも終わり
14:10 やがて一の鳥居を潜るとダイトレとの分岐に着くのでここから左のダイトレを辿ることになる
14:14 数分で右手に高天道(通称:郵便道)を見やってなだらかな左に続く道を進む
14:15 静かな樹間に伸びる道は流石“ダイトレ”で、よく整備された2m幅の道が北東に樹林を縫って下って行く
14:19 やがて冬枯れの樹間越しにこれから向かう白雲岳(985m)の美しいドーム状の山容が顔を覗かせる
14:21 そしてやや急な階段が出迎えてくれると少し山の陰に当たるので、溶けずに踏み固められた雪で油断すると靴が滑る

この辺りから新しい靴と足の不協和音が気になり出してくる

14:28 少しずつ高度が下がってくると道端の雪もウッスラと粉を敷いた程度に少なくなってくるので足を取られる心配はなくなるが踵に感じる違和感は少しずつ増してくるようだ

道は右手に白雲岳を見上げるように北側の中腹を捲いて伸びて行く

14:43 - 14:52 一の鳥居から30分程でダイトレから右方向へ下る少し細い道が岐れる
手元の地図ではこの辺りから朝原寺跡へ続く名柄道(=“点線の道”)が別れているが、道標が無いのに道がハッキリしすぎている事が気になるのでひとまず確かめて見ることとする
一旦ダイトレを200m程先まで進んで他に分岐がないことを確かめ、疑問が確信に変わったところで分岐まで戻って樹木に付けられた小さな道標で納得する
14:54 ・・・が、分岐地点ではハッキリしていた道も少し先に進むと次第に怪しくなって来る
14:57 崩落で切れ落ちた谷筋を幹や木の根に掴まりながら下ると再び穏やかな谷筋に変わり、下草に覆われた踏み跡を足で探りながら下ると丁石らしい石柱の見送りも受けるようになる
15:01 またまた急激な下りの出迎えを受けるので木立を頼りに滑り降りるように下る
下ってきたところを振り返ると赤いテープの捲かれた幹が目に付くので、コースは間違っていない!と確信する
15:14 ダイトレから別れて25分で尾根上の平坦な台地に降り着く
目の前には何やら礎石らしい石組みが散見出来るので、予定通り朝原寺跡に辿り着いたようだ

※「朝原寺は鎌倉時代に金剛山・転法輪寺七坊の1つとして広大な荘園と山林を有した寺」と紹介されている

15:20 地図上ではここで“関屋道”と“朝原寺道”が分岐しているが、ハッキリとした分岐が判断できないので真っすぐ東へ下る踏み跡を辿ることにする
15:24 踏み跡は古くから歩かれていた道であることが容易に判断できるが、何時の頃からか朝原寺を訪れる人も通らなくなり荒れ放題のまま現在に至ったのだろう?
15:40 朝原寺跡から25分程で比較的よく踏まれたヤセ尾根にさしかかると、目線のすぐ下に人里らしき田畑がチラホラと垣間見えてくる
15:46 そして5分で荒れた谷筋の踏み跡から、細いがハッキリとした道に合流する
道は左後方から右前方に伸びているのでここから右前方に足を進める

※ここまでヤブ道を楽しみ過ぎたためか?ほとんど感じなかった踵が急に痛く感じだして思わず顔をしかめることに・・・

15:53 細い道を5分少々進むと右手前方に工事中の砂防堰堤が見えだして、更に広い道に合流する
15:54 右手に見える砂防堰堤に見送られて蛇谷沿いに続く広い道をユックリ辿れば
15:55 やがて道は1m幅の舗装路に変わりいよいよ集落が近づいた事を感じさせてくれる
15:58 舗装路も2m幅に広がり数分で御所市山田集落に降り立つが、次第に酷くなる靴擦れの痛みに耐えながらバス道を歩く
バス待ちを兼ねてバス停から次のバス停に移動してみるが、バスに出逢うこともないまま17時18分ゴールの近鉄御所駅に到着して今回の史跡トレックは終わった
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