恋志谷神社 〜 笠置山(288.0m) 〜 笠置寺新参道
コース概念図 コース断面図
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2006年12月20日 (水曜日)快晴 メンバー:4名
歩行距離 11.7q/歩行時間 3時間51分 (休憩時間 1時間47分) 所要時間 5時間38分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
10:27 山城加茂駅で2両編成のワンマン気動車に乗り継いで15分、風もなく快晴で穏やかな小春日和の陽射しに迎えられてJR関西本線・大河原駅に降り立ち跨線橋を渡って無人の改札を抜ける
手元の温度計は12℃を指しているが陽射しのお陰でほとんど肌寒さを感じる事はない
10:29 駅前に建てられた道標に案内されてすぐ傍を通る国道163号を右手(=西)方向に少し戻る
10:35 ウィークデイということもあってか国道を通る自動車は少ないようだが、充分気を付けて反対側に渡り100m程も戻るとすぐ左手(=南側)をユッタリと流れる木津川へ降りる道が別れるのでこの道へ足を進める
10:38 木津川沿いの緩やかな坂道を下り、沈下橋と呼ばれる珍しい橋恋路橋を対岸に渡る

※沈下橋とは、洪水などで川の水嵩が増すと水が橋の上を流れ流木や水の勢いをかわすように橋脚を極力低く造られた橋だと紹介されている

10:40 恋路橋を渡り対岸を道なりに進むとやがて柳生宗冬により合社された天満宮社と恋志谷(こいしだに)神社に突き当たるので、今日の散策を無事に終えられるようお願いしてこの辻を右折することになる
10:48 柳生一族との関わりが書かれた案内板を見やって、ヒッソリと佇む石鳥居と恋志谷神社に見送られてここからは東海自然歩道を右(=西)方向に進む事になる
11:00 長閑な南大河原の集落を抜けて木津川左岸沿いに伸びる5m幅の舗装道路を歩くが、“東海自然歩道”とは名ばかりで時折通過する自動車に路肩への待避を余儀なくされて自然歩道と言うより一般道路と呼ぶ方が正しそうだ
山の北面の日陰を辿るので気温は6℃と素手には堪える
思い思いに手袋を着けて辿ることになる
11:06 恋志谷神社を後にして20分程で左の岩壁に刻まれた1mばかりの石仏に迎えられ、そして見送られる
手元の地図には十一面観音磨崖仏と書かれた石仏で、道脇に付けられた案内板には室町時代の作で観音さんとお地蔵さんを合体させた石仏と書かれている
11:10 数分で右手の植林が途切れると東海自然歩道は車道と別れ、道標に案内されて右への地道に足を進める事になる
11:18 道は5分程で植林から竹林の中を辿ることになり、やがて右手から背丈程もある石仏地蔵の出迎えを受ける
道脇に建てられた案内板には同じく室町時代・文亀2年(1502年)の作と紹介されている
11:20 すぐに賑やかな倒竹?のアーチにも歓迎されて平坦な道を暫く辿ると・・・
11:23 前方が大きく開けて来て道も少し荒れ、右下がりの細い山道に変る

※この辺りで南山城村から笠置町に行政区が変わるので道や道標の整備状況も少しは異なるのかも知れない

11:28 5分で目の前に相楽水力発電所が見えてくる

※この発電所は昭和3年に運用を開始された落差3.3mという超低落差の発電所で、最大710KWの出力が可能だと「日本の水力発電所」サイトでは案内されている

11:33 さらに5分程でJR関西本線の鉄橋を見上げて下を通り抜ける
頭上には相変わらず雲一つない青空が広がっているが陽の当たらない山裾の道は少し肌寒さを感じる
11:35 すぐに小さな鉄製の手すりが付けられた橋が現れ、下には僅かに流れが見える程度の下草に覆い隠された小川が微かな水音を立てている
11:39 ほんの少しで右手に流れる木津川と沈下橋・潜没橋の見送りを受けて道は左へ曲がる
先程までの日陰から陽当たりの良い河原へ出たので一気に暖かい陽射しを浴び、ノンビリと自然歩道を辿る
11:41 再び関西本線の線路を横切って飛鳥路の集落に向う
11:46 集落への手前には徳川末期に私財をなげうってボランティアに捧げたと言われる大庄屋・庄七の碑とその偉業を讃える案内石標が右手から見送ってくれる
11:51 暫く静かな山間に付けられた道を伝うと布目川が近づいてきて分岐が現れる
直進すれば「笠置町ハイキングコース・布目川散策コース」で、今は道標の案内通り右の布目橋を渡って女性に人気があると言われる「笠置町ハイキングコース・銀の帯コース」に足を進める
11:52 橋を渡ったところで柳生へ続く狭隘なヤブ道を左に分け、3m幅の東海自然歩道は布目川の左岸に沿って続くのでノンビリと足を進めると、「これより甌穴群」と書かれた道標が目に止まる
11:54 右手に白い岩肌の続く布目川が横たわっているが、残念ながら明らかに“甌穴”と思われる窪地はなかなか確認することが出来ないままこの場所からこの場所を通り過ぎることになる

※「甌穴」とは窪みに入った石が水流でクルクルまわり岩を侵食してできる珍しい自然現象で、気が遠くなる程の歳月をかけて造られた傑作と言われている

12:05 川沿いの道は10分で木津川に出逢う
合流点では布目川水力発電所(運用開始:明治41年 落差:111.05m/最大出力:1100KW)の脇をすり抜けて関西本線伝いに西へ向かいトンネルの手前で道は左へ曲がる
そのカーブで線路を横切る細い道へ東海自然歩道は続くので我々も道標に従って線路を渡る
12:16 川と線路に挟まれた自然歩道は2カ所の防雪トンネルを過ぎると緩やかに足下に流れる木津川に向かって下って行くが、手元の案内書には“この辺りに笠置山への旧道(点線の道)取り付きがあって、細いがしっかりとした踏み跡が山門まで続いている”と書かれているのだが・・・
いくら線路の反対側を注意しても取り付き点らしきところが見あたらないので断念して先に進みます
12:26 河原にはこの地域の特色である巨石群が一面に散らばっているが、石仏の彫られた石が左手から迎えてくれると笠置温泉の建物が目に付き出す
12:48 - 13:28 笠置大橋の袂で府道4号に合流するので一旦河原に出て下流に広がる貸し切り状態の笠置町キャンプ場で少し遅めの昼食をひろげる事とする
13:37 ユックリと河原でくつろいだ後はいよいよ今日の最高地点である笠置山を目指す事になる
ここからは山歩きのサイトでお知り合いになったwolfgangさんのレポートを参考にさせて戴いて歩くことになる

キャンプ場からノンビリと10分程かけて笠置山登山口に到着する

13:37 まずは東海自然歩道でもある旧登山道を登りルートにしてコンクリート階段に取り付く
13:41 振り返ると山間に広がる笠置の街並みが明るい冬の陽射しを受けて見送ってくれるので、景観を楽しみながらノンビリと足を運び上げる
13:46 5分程で古びて朽ちかけた地蔵堂の見送りを受ける
13:46 舗装された道が途切れると石畳の打たれた道になり、勾配も幾分緩やかになる
やがて石畳も途切れてシットリとした山道に変わる
13:59 やや急な階段が現れると車道を兼ねた新登山道と合流する
目の前に無粋なコンクリート製の駐車場が姿を表すが一瞥して車道を20m程進むと再び旧道への分岐に着く

※分岐には自然歩道の案内板が建てられている

14:09 - 15:05 最後の階段を登りきると笠置寺山門の出迎えを受ける
すぐ横にある庭では季節や天候によって自家農園で収穫された色々な野菜が無人販売されているようで、この日は「はやとうり 1個100円」が・・・

※この後は入山料300円也を支払って山上巡りを楽しむこととする

この山寺の正式名は真言宗智山派・鹿鷺山(しかさぎざん)笠置寺で、当山のサイトに依ると創建は弥生時代に遡るそうで、寺院の建立は飛鳥時代(670年代)といわれその後ご多分に漏れず元弘の戦乱で全山消失とも紹介されている

行場巡りのスタートは大師堂を見上げて広い道から足を進める

さすが巨石信仰の山だけあって、早速「正月堂」とそれを圧倒するような大岩が目に付く
何度も襲来したと思われる地震にも耐え抜いた逞しさが信仰の対象となったのだろうか?

※史記によると、“東大寺で行われる「お水取り」は当山が起源で、正月堂という名前も、東大寺の二月堂・三月堂と関連があります”と案内されている

正月堂の前にはこの寺のご本尊「弥勒大磨崖仏(高さ15.6m・幅15mの花崗岩に刻まれた)弥勒菩薩(みろくぼさつ)」で、史記には

1300年程前に線彫りによって刻まれ彩色が施された時代もあったようですが、数度の戦火により現在では後背を残すのみとなってしまいました 奈良県 大野寺の弥勒磨崖仏・京都府加茂町 当尾の辻の弥勒は当山の弥勒菩薩を模写されたものです

と案内されている

古来より多くの人々が修行されたと伝えられる千手屈を過ぎると、高さ12m・幅7mの花崗岩に線刻された虚空蔵磨崖仏の出迎えを受ける
史記には図像的な特徴から、如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)であるとも言われており、製作年次も平安時代・奈良時代と確定していません 幸運にも、まわりに建物がなかったからか元弘の戦乱の炎を受けることもなく現在までそのお姿を残していますと紹介されている
また『笠置寺絵縁起』では「天人によって一夜にして刻まれた」とされていますが、大陸より南山城地方に移住された高麗系の狛氏族の技術がかかわっていたと考えられますとも紹介されている
そしていよいよ行場にさしかかると、まず最初に迎えてくれるのは「胎内潜り」だが今までに巡った行場とは異なり、あの小錦以外なら誰でもスンナリ潜り抜けられるのでは・・・と思う程巨大?な岩穴を潜り抜ける事になる

※先程の千手窟は“死”を、そしてこの胎内くぐりは“再生”をイメージしているそうだが、千手屈から胎内潜りまでの道が“死後の世界”を現しているのだろうか?

続いて二つの岩を跨ぐように覆い被さる大岩(=太鼓岩)の下を潜り抜ける
窪みの右隣付近をたたくと岩に少し隙間があって鼓のような音がするそうだが、そのことと行場の関係が俗物の私には理解できそうにないので音が出ることを確かめただけで通り過ぎる
少し岩場を捲いて高台に出ると元弘の戦乱の際、後醍醐天皇の軍勢は下から攻めてくる幕府方に対し山中にあった岩を落としたと言われています ゆるぎ石はその時の名残で、今でも手で押すと動くのでこの名がつきましたと案内されているゆるぎ石に着く
手で押して見ると案内の通り微かに揺らぐが、ここでも行場との関わりが理解することが出来ない
気分を切り替えて東方向を望むとユッタリと蛇行する木津川と流域に広がる下有市の集落が眼下に長閑な佇まいを見せてくれる

※ノンビリと長閑な眺望に浸っていると地元のサイトで見かけた早朝の見事な雲海風景が頭の中でダブってくる

さらに岩場を回り込むとテーブル状の大きな岩が目の前に現れる
これが「平等石」だが今まで巡った行場の平等岩とは異なり、笠置寺のサイトでは命名の由来をお堂の中を回って修行する行堂(ぎょうどう)が平等に変化したのではないかと思われますと案内されている

平等石の右下に「蟻の戸渡り」と呼ばれる岩の隙間があるが、これも今までに巡った行場では戸板を立てた様な狭い岩の上を通ったのだがここでは何故か全く違っている

整備された階段を登り詰めると小さな四阿(あずまや)が建てられた二ノ丸跡に着くが、実際には計画だけで正式な築城はされていないと案内されている
ここで右への貝吹岩へ向かうメンバーと別れて左に登る細い踏み跡を辿って本丸跡?に該当する山頂の「行在所跡」に登ってみる
15:42 - 15:53 ノンビリと行場巡りを楽しんだ後は舗装された新登山道の車道を下って、仕上げのお楽しみが待っている
ところが最終目的地だったわかさぎ温泉 笠置いこいの館に到着してみると休 館 日  第1・3水曜日(祝日の場合変更あり)と書かれた無情な立て看板が・・・
なんともリサーチ不足が祟って汗を流すことが出来なくなったのは残念だが仕方がないので暫く足を休める
16:00 最後の休憩を挟んでノンビリとゴールの笠置駅に着くとまたまた失敗、丁度列車が出たところで次の列車まで50分待つことになる
取りあえず駅前の産業振興会館で暖かいコーヒーを飲みながら16時57分発の列車を待って何とか反省会会場へ・・・
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