忍辱山 〜 柳生街道<剣豪の里>(552.4m) 〜 家老屋敷
コース概念図 コース断面図
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2005年12月01日 (木曜日)快晴 メンバー:5名
歩行距離 11.7q/歩行時間 3時間47分 (休憩時間 1時間40分) 所要時間 5時間27分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
10:09 奈良駅から奈良交通バスに揺られて30分程で忍辱山(にんにくせん)バス停に降り立つ。
前回はここから南西方向に“滝坂の道”を辿ったが、今回はここから北東の方向に剣豪の里を訪れる事になるので一通り準備が整ったところで【近鉄てくてくまっぷ(24)】のコースを確認してバス道を進行方向にスタートする。
10:10 50mも進むと前方に三叉路が見えてくるので道標に従って真ん中の道を下る。
10:19 気温14℃と少しヒンヤリとしたコンクリートの緩やかな簡易舗装路を10分程辿ると、右手後方に《田原》方面への道が分岐するがここは道標通り真っ直ぐ進む。
10:23 すぐ広々とした明るい田園地帯に出るとすがすがしい青空と澄んだ空気、前方からはカラフルに色づいた木々が長閑な雰囲気で出迎えてくれる。
10:26 快適な道は緩やかにくねりながら伸びてゆくが、やがて景色に見とれていると通り過ぎてしまいそうな細い地道が左へ分岐する。 左端には遠慮気味に木製の道標に案内されて左への東海自然歩道に足を進める。
10:28 左への道はすぐ二つの丘の間に付けられたU字形の場所を通って
10:39 10分程でこんもりとした樹林に守られるように佇む数個の石標が現れる。
表面には何やら梵字で刻まれているので何かの神事に使われていたようだが、手元の案内書には全くふれられていないので判らないままこの場をやり過ごす。
10:41 やがて車道が左から迫って来ると民家の手前で鋭角的に右への分岐が現れるので、道標に従って柳生・南明寺と書かれた右方向へ折れると
10:46 5分程で右手前方にひっそりと佇む石灯籠の出迎えを受ける。
10:50 - 11:01 茂みが深くなって薄暗さが漂いだすと夜支布(やぎゅう)山口神社に到着するので
10段程の石段を上がって、木製の鳥居を潜り神社の案内板が建てられた境内に入るが
毎年8月17日の大柳生太鼓踊りでは大いに盛り上がると案内されている境内も、今はひっそりと静まりかえっている。
境内に建てられた春日造りの立磐神社本殿の前を通ると、少し奥にご神木(?)の大杉と比較的新しい祠が祀られているが、こちらのご神体は立磐神社の背面にある岩だそうだ。

※境内の隅にはトイレが設置されている。

11:04 神社を辞して正面の階段を降り前の車道を横断して真っ直ぐ歩くと左手に道標のある分岐が現れ、ここを左折してやや広めの畦道を辿る。
11:21 左手方向には大柳生集落の広々とした長閑な風景が青空の下に拡がり、少し肌寒かった朝とは裏腹に明るい陽差しを受けて手元の温度計は20℃を示している。
11:23 すぐ右手に東福寺の案内看板が目に付いたので東福寺にも立ち寄ってみる事にする。
11:24 石段を上がるとすぐ境内のようだが、小さなお寺なので取り立てて拝観できそうなものは見あたらないので元の道に戻って再び舗装道路を辿ると
11:27 右手に小さな小屋風の民家が現れるので、道標に従って右への細い道に足を進め小屋の裏を通り抜けて
11:29 道は山腹沿いの左下がりに傾斜した平坦な地道を緩やかにアップダウンしながら続く。
11:32 樹林が途切れると目の前に菜園が拡がり、白い二階建ての建物が目に付くので一瞬ルート表示された道標を見落としてしまう。
手元の地図では「奈良市青少年野外活動センター」と書かれているので、ルートは手前の細い右への分岐(道標がある)を辿ることになる。
11:41 - 12:20 5分少々で一旦車道に出るので右方向に進むが、すぐ道標に誘導されて左への広い地道に入ると手入れされた少し広い畦につく。

※頃合いも良いようなのでここで昼食休憩とする。

12:21 食後は少し先に付けられた道標に従って右に折れるとほぼ正面に南明寺の大きな屋根と十三重石塔が見え出すので
12:24 先程の車道を横切り南明寺に立ち寄る。

※ここにはロマンが伝えられる“お藤の井戸”があると手元の資料に紹介されているので、少しは当時を伺えるかなと期待してみるが・・・

12:25 本堂(重要文化財)は、鎌倉時代に建てられた寄棟造りで簡素な美しさが特徴と紹介されているとおり、スッキリとした建物で、拝見することは出来ないが堂内には薬師・釈迦・阿弥陀の3如来が安置されていると紹介されている。
12:30 - 12:32 右手から回り込むと何の変哲もない小さな井戸が見える。
他には何も見あたらないのでこれが期待していた“お藤の井戸”だろうか? 境内には綺麗に整備されたトイレが設置されているが昔の面影らしいものもないので、さっぱり状況が判らないまま少しガッカリして南明寺を辞する。
12:46 南明寺の裏手に続く舗装道路を道標に従って辿ると紛らわしい分岐に着く。
道標らしい標柱が左の道に建てられているが、よく見ると【青垣国定公園】とだけ書かれた標識で取りあえずこの分岐は直進する事にするが
12:50 道は樹林の中を徐々に勾配を上げてゆくのでどうやらこの道が阪原(かえりばさ)峠への正しいルートのようだ。
12:51 やがて右手に大柳生集落の水源池(?)への分岐が現れるのでこれは見送る。
阪原峠への急な道は雨降りのスリップ事故を軽減するためか?石畳風のコンクリート舗装に変わるので少々幻滅・・・・
13:00 右手に大岩を見送ると阪原峠が近づいた事が判る。
13:02 阪原峠に到着。
樹木に覆われているので見晴らしは全く利かないが、往時は大小を差した多くの剣豪がこの峠を行き交ったのかと思うとこの静けさが少し不気味に感じる。
13:03 峠を越えると山腹を緩やかに左へ捲くように樹林を縫って下り出し
13:15 右手に拡がる木の間越しの田園風景が長閑な佇まいを見せてくれる。
右手に分岐が現れると国道369号が近づいてくると
13:16 - 13:20 樹林の中に突然小さな四阿(あずまや)が見えてくるが、屋根の下には丸い大きな岩が居座っている。
よく見ると岩には彫刻が施されていて、その横に建てられた案内板には疱瘡除けに建てられたというほうそう地蔵であることが記述されている。
13:19 道伝いに右手へ回ると、大岩の背面にも六体のお地蔵様(?)が掘られていることが判るが
13:22 さらに2〜3分で、左手から中村六地蔵の出迎えをうける。
13:28 すぐ前方に民家が現れると、一刀石へは右への分岐を辿るよう道標が教えてくれるので右折して今川に架かる神願橋を渡り
13:30 真っ直ぐ進み、やがて現れるY字分岐では左の地道に入る。
13:40 ノンビリと広い地道を辿ると四つ辻に着くので、右への緩やかな登りを採る。
Y字の分岐から10分で石の鳥居を潜り
13:43 100mばかりで天乃石立(あまのいわたて)神社に着く。
この辺りから柳生家ゆかりの史跡が出迎えて呉れるようで、この神社も柳生家の修練の場だった(らしい)と案内板には書かれている。
天乃石立神社のご神体は不思議な形をした4つの奇岩から構成されていて、天の岩戸から飛んできたという言い伝えが残っている と案内されているが、視界には確かにスパッと切って研ぎ澄まされたような不思議な岩が見えている。
13:45 すぐ奥には鬱蒼とした樹林が拡がっているが、木の間越しに丸い卵形をした巨岩が見えるので足を進めてみると
13:47 - 13:51 そこには柳生石舟斎が一刀切りしたと伝えられる一刀石が目に付く。
13:54 ここからは茶畑に挟まれた長閑な往路をノンビリと戻る事にして
13:57 5分程で先程の四つ辻に着くが、ここで往路と別れて直進するように山道への緩やかな登り坂を辿ると
14:03 すぐ柳生霊園に出るので左端をかすめるように通り抜けて芳徳寺への参道に合流する。
道脇からは今年の秋を締めくくるようにきれいに色づいた紅葉が出迎えてくれる。
14:04 参道との合流点では歌碑が右脇から静かに見送ってくれる。
14:06 - 14:16 参道を緩やかに登るとやがて柳生家の菩提寺である芳徳寺に着く。
左手前からは【石舟斎塁城址】と刻まれた石碑が麓に拡がる柳生の里を見下ろしている。
この寺の裏には石舟斎以下柳生一族が眠る墓地があるので訪れてみようと思ったが、どうやら境内の外側に続く道からは立ち寄ることが出来ないようなので、わざわざ入山料(\300)を志納する必要があるようだが単に墓所に立ち寄るために出費するのはやめようと云うことになって早々に辞することにする。

少し下がった所にある正木道場の傍には整備されたトイレが設置されている。

14:27 正木坂道場を右手に見て参道を下りきったところで駐車場に出るが、そこには柳生の里の案内図が掲げられているのでこの後辿るコースを再確認する。
14:29 正木坂バス停の傍で八坂神社の鳥居が出迎えてくれるが、右手に見やってまずは陣屋跡に向かう事にする。
14:33 - 14:38 緩やかな上り坂を辿るとすぐ左手に柳生藩陣屋跡への階段が現れるので階段を上るが、公園のように整備された空き地が拡がっているだけで全く陣屋跡の面影は残っていない。
広場の隅にはトイレが設置されている。
14:42 - 14:44 陣屋跡から先程の鳥居を潜って柳生八坂神社の境内まで移動して、手元の案内書にも殆ど説明がないので話の種に本殿にも立ち寄ってみるがやはり予想通りというか、感動を見つけられないまま境内横に建てられた東海自然歩道案内図を横目に見て先に進む事になる。
14:52 境内を出たところにある道標に誘導されて左への道を5分少々辿ると前方に立派な石組みと白壁の小山田家(柳生藩家老)分家前に着くが、一般には公開されていないのでカメラに納めてさらに先に進む。
14:57 - 15:20 ほんの少しで旧柳生藩家老屋敷・小山田邸に着くが、立派な武家屋敷も整備されすぎてあまり感動を覚える事はないが、取りあえず緩やかな坂を邸の玄関まで上がり
玄関で拝観料300円也を支払って邸内に入ってみる事にする。
入り口をハイってすぐ左手には女中部屋があり、すぐ横の土間には駕籠に乗降する時に使ったと思われる踏み台が置かれている。
部屋に上がると野宴の席で当時使われた茶器なども展示されていて
さらに壁際にはよく手入れされた鎧櫃も陳列されている。
最後に当時の小山田邸を構成していたという間取り図を拝見して屋敷を辞す事にする。
15:26 家老屋敷を後にして今川橋付近に差し掛かると、北に見えるこんもりとした小山にひときわ大きい枯れ木が人目を引くが、これが柳生のシンボル的な十兵衛杉だそうでその名前からも推測できるように柳生十兵衛の手植えによるものだと説明されているが、落雷で涸れてしまったそうだ。
15:27 いよいよコース最後の笠置に向かうために変わった造りの柳生橋を渡ると、残りは5q程を残すだけとなるが同行メンバーが体調不良を訴えるので今回はここまででうち切りと決めた。
15:36 道を50m程戻るが、途中に昔の番屋をイメージして建てられたというユニークな柳生駐在所を見やって、今回のゴール柳生バス停に着く。

予定では笠置まで歩き、わかさぎ温泉で汗を流す事にしていたのだがここからバスに乗ることになったので奈良駅まで移動して駅前の銭湯で汗を流して無事解散。

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