石上神宮 〜 山の辺の道(162m) 〜 珠城山古墳群
コース概念図 コース断面図
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2005年05月30日 (月曜日)曇りのち一時雨 メンバー:4名
歩行距離 12.7q/歩行時間 3時間40分 (休憩時間 1時間56分) 所要時間 5時間36分
10:36 今回は趣向を変えて、山歩きではなく山の辺の道をノンビリ辿ってみようという事になったので、集合場所兼スタート地点の天理駅前のコンビニで食料と飲料を調達して薄曇りの空の下を東に伸びる天理本通りに足を進める。

※手元の資料に依ればこのコースは殆どが東海自然歩道として舗装されているので年輩や足の不自由な方でもあまり足下を気にする必要もなく、また随所にトイレも整備されているので女性でも安心して楽しめると案内されている。 10:49 天理本通り商店街は想像していた以上に大きく、国道169号を横切って東西1qに亘って延々と続いているので左右に並ぶお店を見やりながらノンビリ歩いて 11:00 やっと商店街が途絶える頃、左手に大きな堂々とした木造の建物が周囲を圧倒するように現れる。さすが天理教の本部ということで見事な建造物に思わずシャッターを切っていると境内に備え付けのスピーカから「神聖な境内でのカメラ撮影はご遠慮下さい」の放送が・・・f(^_^;)

それ以上のお咎めはないようなのでカメラを持ったまま何事もなかったように足を運ぶ。 11:07 歩き始めて30分程で右手から国道25号が合流してくるので、車に注意しながら車道の端を伝う事にする。 11:10 やがて信号のある布留交差点に着くので右に折れて布留(ふる)大橋を渡り 11:17 - 11:23 すぐ県道51号・天理環状線から左へ折れて石上(いそのかみ)神宮に立ち寄ってみる。 緑一色の木立に囲まれると先程までの車の騒音がウソのように聞こえなくなり、正面から神宮の鳥居が出迎えてくれる。

※道脇に打たれた案内板には国宝に指定された七支刀(ななつさやのたち)も多くの武器と一緒に収められていると案内されている。 右手にある小さな鏡池には天然記念物の馬魚(わたか)が生息していると記述された案内板が立てられているが、果たしてわたかとはどんな魚なのかな・・・?

池を回り込むとこれから辿る山の辺の道案内図が建てられているので改めて確めておく。 11:28 南に向かって石上神宮外苑公園沿いの緩やかな樹木に覆われた道を進むと 11:36 - 11:50 一旦国道25号を潜り抜けて10分足らずでT字路に突き当たるのでうち山や とざましらずの 花ざかりと書かれた芭蕉(旧号:宗房)の句碑に目をやって 左へ進むと、隆盛を極めた当時の大伽藍の配置図と僅かに本堂池が残っていると書かれた案内板が建てられた内山永久寺跡に着いたようで、この案内板からも永久年間に建立されたことから永久寺という寺名が付けられたことも容易に窺える。 11:56 柿畑の中の細い緩やかな舗装路を登って石畳の道を少し下ると峠の茶屋がある天理教観光農園に着くが、今回のコースではこの辺りが最も標高が高い地点だ。 11:57 ここからは西方向の遠望が開け、正面にはいつもお目に掛かる風景とは一味違った二上山〜大和葛城山への稜線がなだらかな曲線を見せてくれる。 12:09 - 12:13 更に舗装された道を10分程伝うと左に建てられた案内板に教えられ、夜都伎(やとぎ)神社に着くので休憩を兼ねて立ち寄ってみる。 12:20 - 12:23 やがて小さな溜め池が見えてくるが、実は池ではなくその当時には濠として竹之内集落を戦乱から守るために作られた竹之内環濠集落の痕跡だと案内板に教えられる。 12:33 - 13:10 途中で雨の歓迎をうけたので適当な昼食ポイントを探しながら辿っているとビニール屋根の小屋が目に入り、片隅をお借りして少し遅めの昼食を済ませる。

食後は10分程で左手に瓦を積み上げて造られた石塀が現れて、そのまま塀沿いに進むと150p程の高さの甕(信楽焼?)が置かれた正面玄関に辿り着く。
手許の案内書に寄るとここは大和の伝統茶粥を味わうことが出来る会席料亭弓月庵だそうだが、要予約と案内されているのを“なるほど!”と納得して今は通過する。 13:24 2〜3分で道脇右下から柿本朝臣人麻呂の万葉歌碑のお見送りを受けて通過すると衾田(ふすまだ)陵大和古墳群の説明標識が現れ、 13:28 やがて右手に小さな池が見えてくると池畔に建てられた西山塚古墳の説明板が目に付くが、付近には竹之内集落と同じように戦乱の外敵を防ぐ目的で濠が巡らされた萱生(かよう)環濠集落があった事も案内されている。 13:41 10分少々足を進めると細い道は墓地を縫うように通り、左手前方に燈籠山古墳が姿を現すので 13:56 - 14:05 休憩を兼ねて10分近く風景を楽しんだ後さらに足を進めると広い台地にポツンと取り残された一角が目に着くが そこには柿本朝臣人麻呂の歌が刻まれた自然石の碑がある。
ここに来てやっと広々とした田園風景と舗装されていない地道にお目にかかることが出来て、ほんの一瞬万葉人の気分に浸る事が出来そうだがあまりにも整備が行き届いているのが造園を印象づけてしまう。 14:14 - 14:53 10分程で道の正面に“下馬”と刻印された標石が見えてくると、右手3m程上部に見える根上り松が見下ろすように出迎えられて、手許の案内書に釜の口のお大師さんと案内されている長岳寺に到着する。 注連縄を潜って境内に入るとすぐ右横から開基は弘法大師で最盛時には42の堂宇にまで賑わったが戦火や明治の廃仏毀釈で荒廃したと書かれた案内板が迎えてくれる。 この長岳寺をユックリ拝観することに決め、山門を潜り抜けて受付で\300也の拝観料を支払い関西 花の寺第19番の門札が掲げられた境内をユックリ巡る事にして 奥に見える重要文化財の鐘楼門や、右に立てられている長岳寺の由緒を拝見しながら適当に足も休める。 庭園の中央には秋の紅葉が楽しめそうな池が静かな水面に背景の緑を映しているが、やはりこういった景観はいつ見ても心身をリラックスさせて癒される。 最後に庭園の裏に横たわる山の中腹に回ってみると、鎌倉時代に古墳の石材に彫り刻まれたと言われる弥勒大石棺仏の柔和な顔に見送られて長岳寺を辞して 14:58 さらに5分程南方向に辿ると行く手にこんもりとした前方後円墳が目に入る。
手許の案内書には崇神天皇陵と書かれているが、まずは道脇にある案内図でも確認する。

※これまで初代の天皇が神武天応とされていた常識を覆して、最近では崇神天皇が初代の天皇だとの説が有力だと聞くが・・・・ 15:05 「崇神天皇陵」は全長242mの前方後円墳で考古学上は柳本古墳群の一つで行灯(あんどん)山古墳と呼ばれていると案内書には記述されている。

崇神天皇は開化天皇の皇子で大和朝廷の創始者と「古事記」や「日本書紀」には記述されているそうだが、神武天皇との初代天皇説はどう決着が着くのか野次馬的には少し興味が湧くところだ。 15:17 崇神天皇陵の東側を捲いて南に伸びる細い道をノンビリ歩くと 15:20 この辺りは高台になっているので、長閑な風景に点在する民家の背景には左から金剛山〜大和葛城山〜岩橋山〜二上山のなだらかな稜線を見やると 15:35 やがて前方に景行天皇陵が見えてくる。
景行天皇は先程の崇神天皇の孫にあたる垂仁天王の皇子でヤマトタケルの父だと「古事記」や「日本書紀」には紹介されているそうだが、この墳墓も崇神天皇陵と同じく全長300mの前方後円墳で4世紀の古墳としては我が国最大の大きさを誇る柳本古墳群の一つで渋谷向山古墳と呼ばれているとも・・・ 15:43 石段道を下り左に曲がれば額田女王の歌碑が左脇から明るく出迎えてくれ、正面にはこぢんまりとした三輪山が見える。 15:48 南に5分程伝うと右手にこの辺りの地名である神籬(ひもろぎ)の由来について案内されているので立ち寄ってみる。 15:58 - 16:02 今回はここまでで散策を終わる予定だったので西に折れて巻向駅に向かうが、途中に古墳時代後期の古墳群である珠城山(たまきやま)古墳が案内されているので階段を登って立ち寄ってみる。 16:11 最後は国道169号を横切ってなおも西に伝えばJR桜井線の線路が見えてくるので 16:12 線路に沿って左へ曲がればすぐに今回のゴール巻向駅に到着して、山辺の道散策@は終了。 ページの先頭へ