円成寺 〜 柳生街道<滝坂の道>(517.6m) 〜 興福寺
コース概念図 コース断面図
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2005年03月31日 (木曜日)曇り時々晴れ メンバー:5人
歩行距離 12.8q/歩行時間 4時間53分 (休憩時間 1時間10分) 所要時間 6時間03分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
10:09 近鉄奈良駅9時43分発のバスで10時6分に今回のスタート地点忍辱山(にんにくせん)バス停に着き、準備が整ったところでまず円成寺(えんじょうじ)の庭園散策から歩き始めます。

※余裕がありすぎて肝心のデジカメを自宅に忘れて来ましたので、今回は一部分を携帯電話のカメラで補うことにして同行者のデジカメ頼りとなりました。

10:11 バス道を少し戻ってまずは円成寺に立ち寄るために、右手に渡された注連縄を潜って境内に入ります。
10:13 平安期の浄土式庭園と伝えられる庭に横たわる池に沿って進みますと、楼門の奥に朱塗りの二重塔と十三重石塔が見えてきます。 他にも運慶作と言われる大日如来像や春日堂、白山堂などの国宝があるようですが今回は池の畔を辿るのみで円成寺を辞します。
10:22 再びバス道に出て東海自然歩道への入口が見える向側に横断して、南に続く2m幅の石畳をノンビリと辿ります。
空には薄雲が拡がっていますが時折射す陽光は暖かい景観を演出してくれます。
10:25 やがて円成寺墓地を左に見て分岐を右に採り、六地蔵に見守られながら平坦な道へ歩みを進めます。
10:30 Y字に別れますが、道標に従ってやや登り加減の左への道を採ります。
10:56 - 11:00 木漏れ日の射す快適な自然林の中を緩やかに登りますが、今回が今年初めての歩きというメンバーもいますので、この辺りで最初の小休止を挟みます。
11:07 軽いアップダウンを過ぎますと前方左手に美しくドーム形に刈り込まれた茶畑が拡がります。 これから新芽が出てきますと浮き出るような若緑一色に覆われることでしょう。
11:13 スタートして1時間、自然歩道は大慈仙から延びる広い舗装路と合流して南西方向へと導いてくれます。
11:29 舗装路は緩く下りますが、前方が開けてきますと平坦な田園地帯に変わり
11:30 やがてT字路に突き当たりますが、ここは道標通り右に進みます。
右手の小高い所に茶畑が拡がっていますが、この中に五尺地蔵が静かに佇んでいるそうですがここでも横目で見て通りすぎます。
11:39 10分弱でインドの聖跡から付けられたという歴史を感じさせる誓多林(せたりん)の集落を見て過ぎますと誓多林峠に着きます。
ここから右手の八柱神社への石段前を右に折れて生琉里(ふるさと)に通じる細い道を進んで芳山(ほやま)石仏に立ち寄ります。

※峠にはキレイに整備されたトイレがあります。

11:44 5分程で獣除けの柵に道が遮断されていますので開けて通ります。
11:46 道端には張り巡らされた獣除けのネットが暫く続きます。
11:46 静かな樹林の中に伸びる林道をノンビリ辿ります。
11:50 獣除けの柵から5分程緩やかな植林帯を下りますと左への分岐が現れますので、小さな道標に従って左の芳山登山道へ曲がります。
11:59 道はすぐササに覆われた樹林の小径となりますが、よく踏まれていますので迷う心配はありません。
12:01 - 12:43 誓多林峠から10分で尾根上の岩に掘られた芳山石仏に到着です。

※この地にある軟質の奈良石の石柱に二面の如来像を半肉彫したもので奈良時代後期の作と伝えられているそうです。 また以前は横倒しになっていたものを昭和11年に村人によって正立されたそうです。

※時間もよろしいようで、石仏前の平坦な場所を借りてお楽しみの昼食タイムとします。
13:08 食後は登りに通った獣除けの柵を締めて、誓多林峠まで戻ります。

峠から東海自然歩道を50m程西に辿りますと峠の茶屋があります。 その昔武芸者達が飲み代のかわりに置いていったという古めかしい種子島銃や槍、さらには神道無念流の武芸帳などが残されているそうです。

13:13 ほとんど車が通らない舗装路を5分も西へ辿りますと石切峠に着きますので、道標に従って左の細い山道を地獄谷石窟仏に向かいます。
13:16 中腹道をからみながら少し進みますと急な階段の下りが待っています。
13:24 つづら折れの急斜面を下りきったところで地獄谷源流付近に架けられた小さな橋を渡ります。
13:27 渓谷沿いの緩やかな登りは樹林帯を縫うように続いています。
13:43 - 13:49 坂を登りきったところで地獄谷石窟仏が迎えてくれます。

※石を切り出した後の岩肌に6体の仏像が線刻されています。

※石仏は朱塗りを施されたもので中央には弥勒仏、左は薬師像、右は十一面観音像が掘られているそうで、奈良時代後期の作と伝えられています。
13:56 道なりに辿り、5分程で奈良奥山ドライブウェイへの階段が現れます。
13:57 やがて奈良奥山ドライブウェイに突き当たりますので車に注意して横断します。
13:58 車道の反対側には地獄谷新池へ続く道が緩やかに登っていますので、道標に従って新池を目指します。
14:02 緩く下り返しますと右後方からの道と合流して地獄谷新池に着きます。

※池の周囲は平坦な広場になっていて、整備されたトイレも建てられています。

14:06 - 14:17 やがて右手前方に荒木又右衛門が試し斬りをしたと伝えられる首切り地蔵の姿を見る事になりますが、近づいてジックリ見てみますがその時に出来たはずの刀の傷跡を確かめる事は出来ませんでした。
傍に建てられた案内板が無ければ全く普通のお地蔵様に見えますが、本当にそんな罰あたりな所業を又右衛門が行ったのでしょうか?疑問を抱きながら足を進める事とします。
14:25 この辺りから春日山までの渓流沿いの道が“滝坂の道”と呼ばれているところで、少し歩きにくい石畳の道を緩やかに下って行きますと右手川向かいの岩壁に朝日観音が見えてきます。

※朝日観音は鎌倉中期の作で中央が弥勒、左右に地蔵菩薩を配した三体の磨崖仏です。

14:28 さらに趣のある石畳を足下に注意しながら渓流沿いにノンビリと下ります。

※首切り地蔵から続く石畳の道は江戸時代中期に奈良奉行によって敷かれたものと記録されているそうです。

14:37 朝日観音から10分、右手中腹に刻まれた三体地蔵が見送ってくれます。
14:40 すぐ先の少し右奥の見上げる岩壁には夕日観音が我々を見下ろしています。

※弥勒信仰が盛んだった鎌倉時代の作で、実際は観音ではなく弥勒仏だと言うことです。 夕映え時が最も神々しい姿を見せてくれると言われています。

14:44 うっかりすると見過ごしてしまいそうな道端の右脇にある少し大きめの石裏に寝仏が刻まれています。 近くにあった四方仏(薬師、釈迦、弥勒、大日如来)の一体が転げ落ちたもので、室町時代前期の作と言われています。
14:54 500m程歩いて石畳が途絶える頃、右手に妙見宮参詣道を見送ります。
14:56 すぐ左手の能登川沿いに建つ高さが3mもありそうな大きな石灯籠に見守られながら柳生街道歩きもそろそろ終わりに近づきます。
15:00 樹林が切れて橋を渡るところに“柳生街道入口”の標識が現れます。 ここからは市街地の舗装道路をゴールまで歩くことになります。
15:23 途中、新薬師寺への入口手前から志賀直哉旧居前を通ります。
15:35 - 15:42 鷺池に立ち寄って“浮き御堂(?)”で最後の休憩を採ります。
16:12 そろそろ予定時間の16時が近づいてきましたので最後に興福寺に立ち寄って、木造では最も高いと言われる五重塔の脇から今回のゴール近鉄奈良駅に到着です。
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