三木里 〜 八鬼山(628m) 〜 名柄一里塚
コース概念図 コース断面図
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2004年08月03日 (火曜日)曇り後雨 メンバー:3名
歩行距離 14.3q/歩行時間 5時間23分 (休憩時間 1時間14分) 所要時間 6時間37分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
09:23 前日の天気予報で明日の三重県南部は朝から雨でしょうと完全に“雨”と宣言されたその朝、起きて空を見上げれば案の定微妙な曇り空です。 食事を済ませて尾鷲駅からスタート地点のJR三木里駅まで移動し無人のホームに降り立ちます。
09:25 駅前からは本来なら舗装された道を一旦南に向かって大きく東へ回りこむのが一般ルートになっていますが、舗装道路は出来るだけ歩きたくない我々は他のグループを見送った後、線路沿いの小道を東(尾鷲方面)に向かって歩きはじめます。
09:30 線路沿いの道は幅50pほどの細い道ですが、自動車が通らないのでノンビリと景色を楽しみながら歩くことが出来ます。
09:33 途中で小さな川に架かる橋を渡ると、前方に跨線橋が見えて来ます。 やがて跨線橋を左に見送ってなおも進み、右手の“三木里小学校”を越えたところで右(南方向)への細い道を辿って国道311号に合流します。
09:45 国道311号を左折して再び東に向かいますが、後方を振り向くと先にスタートしたグループが遙か後方を歩いて来ます。 我々の辿ったルートは自動車の騒音に悩まされないだけでなく、2〜3分近道でもあったようです。
09:47 道なりに進んで左に“北輪内中学校”を見送り、やがて“沓川”を越えると国道の右手に←熊野古道・八鬼山越えの案内標識が現れますのでここを左に入ります。
09:53 道は3m幅の地道ですが舗装されていないため気持ちよく歩くことが出来ます。

※所々に“世界遺産登録反対”と書かれた板きれが目立ち、地元の人々にとっては微妙な問題が残されたままであることが感じられて、少し複雑な気持ちで歩を進めます。

09:57 2〜3分もすれば左右から背の低い草木が迫ってきて足下が見えにくくなってきますが、道自体はしっかりしていますので不安を感じる事なく足で草をかき分けて進みます。
10:03 - 10:07 再び手入れの行き届いた広い道になると前方右側に四阿風の休憩小屋が見えてきます。 名柄一里塚に到着しましたので最初の休憩をここで挟みます。
すぐ傍には“一里塚”についての説明板があって現在尾鷲市域には3カ所に“一里塚”が残っているとの内容が説明されています。
10:14 50mほど先で舗装された林道に合流し、暫くは舗装された道を歩きますがすぐに沢筋のような石ころの多いコースに変わります。
10:15 次いで5m程の木橋で水の少ない川を渡りきると、先程と同じような石ころだらけの少し歩きにくいコースが続きます。
10:16 橋を渡ってすぐの所にこれから歩く“八鬼山越え”が解説された案内板があって西国一の難所であった・・・云々と書かれており、ここが“八鬼山峠道”への三木里側登山口であるとも書かれています。
10:20 ここからは勾配も少しずつ急になりますが、足下には往時を偲ばせる石畳が階段状に敷かれていますので転倒しないよう注意しながら三木峠を目指します。
10:25 5分程歩けば“籠立場(かごたてば)”の説明板が現れます。 この“籠立場”はこの名柄側と尾鷲側にもあって、駕籠でこの峠を越えるときの休憩場所であったと説明されています。 それにしてもこの急坂で駕籠を担ぐ人は勿論、駕籠に乗る人も大変なバランス感覚と労力が要求された事だろうと推測してしまいます。
もし私が当事者だったら絶対駕籠に乗らずに歩いて越える方を選ぶのに・・・・
(左の画像が“籠立場”についての説明板です。)
10:30 - 10:35 “籠立場”から自然石の敷かれた階段道を5分も登ると“明治の道との分岐”に着きますので、ここで2回目の休憩を摂ります。
懸念していた雨も少し強くなって来ますが、雨でも汗でも濡れる事に変わりはないと言うことで雨具は着ずに登ることとします。
10:48 - 10:50 ここからは広く比較的なだらかな“明治の道”を左に見送って、細く勾配のキツイ“江戸の道”の階段を“十五郎茶屋跡”方面へ向かいますが、10分程登ったところで3回目の休憩タイムにします。
雨足は更に強くなってきますが、全く無視して先へ進みます。
10:54 相変わらず続く石組みの階段道にウンザリしながら雨に濡れて重くなった(?)ザックを担ぎ上げます。 断続的に強く降る雨がデジカメのレンズに付きますので本体への浸水に細心の注意を払いながら階段道を辿ります。
11:03 - 11:22 少し勾配が緩やかになったところに小広い台地状の尾根が現れて、小さな四阿が設けられています。
ここに案内板が設けられてあって“十五郎茶屋”跡であることが判ります。

メンバーの一人にとっては久々の山歩きですので、前半の好(?)ペースが祟って20分ばかり遅れてスタートします。 勿論、後から登ってきた2人連れのパーティーは雨具を着け終えて早々と四阿を後にしています。

(左の画像は十五郎茶屋の説明板です。)
11:30 茶屋跡からもジグザグにつけられた急な階段道を登り続けますが、見上げる高さにあった尾根筋も大分角度が低くなって山頂が近くなったことが判ります。 ただ、依然として雨雲に覆われてピークが見えることはありません。
11:44 さらに15分近く登り続けると一段と階段道も緩やかになってきます。
11:56 やがてずっと続いていた自然石の階段も無くなって、快適な山道になってくると木立も少なくなり遠方を望むことは出来ませんが視界は開けてきますので、ほとんど山頂部に着いたことが判ります。
12:08 緩やかな山頂部を道なりに10分少々歩いてゆくと突然“さくらの森エリア”が右に拡がって見えてきます。 ただし、強い雨のため眺望を得ることは不可能ですがここが展望台を兼ねていることは容易に推測できます。
先程の四阿を先にスタートした2人連れは展望小屋(?)と思われる四阿で昼食を摂るようですが、横風が強いため我々はここでの昼食を断念して、立ち寄らずに先に進みます。
12:12 すぐに三差路が現れますが、右は“さくらの森エリア”からの回遊路ですので左の道を辿ります。
12:16 八鬼山の山頂(628m)から平坦な樹林帯を縫ってなだらかに下ってゆくとやがてT字路に突き当たります。

左からの“明治の道”と合流しますのでこの“三木峠”を右へ折れます。

12:17 - 13:01 すぐ右手に小高い台地が見え、四阿風の休憩小屋が建てられていますのでここで昼食休憩を摂ります。
13:01 雨足は一向に衰える気配がありませんので、食後のスタートに備えて上衣だけ着替えて雨具を着けます。
13:03 暫くは尾根筋の平坦な樹林帯を緩やかに降って行きます。 相変わらず強い雨粒が派手な音でザックをたたいてきます。
13:08 5分も歩けば急な勾配が現れて、道も苔に覆われた石で敷かれた階段道を下ることになりますので、滑らないように注意しながら足を運びます。
13:12 やがて尾根上の台地に着くと目の前に古びた“荒神茶屋”跡が現れ、すぐ傍には説明板も設けられています。
(左の画像が“荒神茶屋”の説明板です)
13:13 さらに数メートルの所には昔のまま(?)の“三宝荒神堂”がひっそりと佇んでいますので、無事に下山できることをお願いして“九木峠”目指します。
13:14 木立の中の右下がりの細い道を緩やかに下りますが、やはり道にはビッシリと石が敷き詰められています。
13:24 10分程で再び平坦な台地に着いたところに“九木峠”があります。 ここで右への道を分けて左の石畳の下り道を採ります。
13:32 少し急な階段道を5分少々下ると、左手の道端に大きな石(岩?)が2つ見えてきます。
すぐ傍にある説明板には“蓮華石”と“烏帽子石”と呼ばれているそうで、その謂われが案内されています。
13:44 だらだらと続く階段道をなおも10分程降って行くと“桜茶屋一里塚”跡に着きます。
ここにも説明板がありますが、当時の熊野街道で使われていた“一里”には明確な長さの定めがなかったと言うような興味深い事が記されています。
13:56 そして10分程歩いたところからいよいよこのコースのクライマックス“七曲がり”の難所が始まります。
14:01 雨の所為もあるのですが、ガスに捲かれ苔に覆われた急な石の階段で何度も転びそうになりながら、“七曲がり”の難所をジグザグに下ります。
14:11 少し勾配が緩やかになる頃右手に大きな石(落石?)が見えてくればこの難所も通り過ぎることが出来たようです。
ここにも説明板が設けられていて、西国第一の難所「八鬼山越え」のうちでもこの七曲がりの280m区間が大難所である。と案内されています。

石畳が敷き詰められていなければごく普通の山道ですが、大小様々な石を一瞬のうちに判別して足を運ばなければならないので全く気を抜くことが出来ません。

14:22 石の階段道をさらに10分程下ると林道がコースを横切る地点に着きます。 昼食を摂った四阿から1時間20分かかりましたが、手元の地図によるとほぼ中間地点です。
14:29 林道を横断して再び石畳の道を数分歩くと“籠立場(尾鷲側)”に着きます。
ここに設けられた説明板には八鬼山越えを通行した紀州藩主は6代〜8代のみが記録に残っていると書かれています。
また、もう一つの説明板には八鬼山越えの道中に置かれた町石は全てお地蔵様だと書かれています。
14:37 相変わらず歩きにくい石畳が敷かれた1m幅の道を10分近く歩くと、左手に案内板が立てられています。 ここには巡礼で行き倒れとなった人の碑が祀られているとの説明があり、「蟻の熊野詣で」と呼ばれた賑わいの裏舞台にロマンを感じます。
14:38 まだまだ続く石畳の道も階段道から緩やかな勾配に変わってきますが、歩き難さは相変わらずです。
14:44 やがて山腹を大きく右に捲くと右から沢が流れ込んで、道の下を横切ります。 たぶんいつもの水量より多めの流れだろうと思いながらなだらかな道を降って行きます。
14:59 沢の流から15分、左下に大きな石油タンクを見やりながら舗装道路へ飛び出し、無事“向井登山口”に辿り着きました。
16:00 相変わらず降り続く雨で靴の中まで水浸しです。 案内地図ではここから“大曽根浦”駅まで歩くように書かれていますが、今夜の宿泊地が尾鷲ですので目の前に進路を遮る石油タンク群を右から大きく迂回して、“尾鷲節道標歌碑”のあるバス道を歩くこと1時間で宿舎の“尾鷲ビジネスホテル”にゴールインしました。
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