談山神社 〜 多武峰(678m) 〜 石舞台
コース概念図 コース断面図
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2004年04月21日 (水曜日)快晴 メンバー:5名
歩行距離 15.1q/歩行時間 4時間16分 (休憩時間 1時間44分) 所要時間 6時間00分
《レポート画像》
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到着 - 出発 《ルートポイントのあらまし》
10:09 “多武峰”バス停で下車し、準備が整ったところでスタートです。

※目の前には“別格宮弊社 談山神社”と書かれた石柱と歴史を感じる橋が、そしてすぐ隣にはバス道が並んで“寺川”を跨いで談山神社に向かっています。

10:11 今回のコースはまず“細峠”に登る予定ですので、“談山神社”への道を右に見送り県道“桜井吉野線”を寺川沿いに吉野方面へ歩きます。
10:21 飯盛塚集落を過ぎて鹿路(ろくろ)集落への途中で、道端の左手に小さな祠が祀られている前を通りますが、快晴の無風状態でさらに夏日が重なった今日の天候ですのでここからは少しペースを落として歩きます。
10:24 鹿路集落が近付くと真新しいトンネル(新鹿路トンネル)が正面に見えてきますが、右手方向には旧道と思われる舗装道路が寺川を渡って延びています。 ただ手元の地図や案内書にはトンネルも橋も載っていませんので取りあえず右の旧道を進みます。
10:25 鹿路大橋から右の旧道に入ると頭上にさし渡された注連縄の下を潜り、すぐの分岐をもう一度右の3m程の舗装路に入ります。

※後で判ったことですが、ここではまだ旧道をそのまま真っ直ぐ進むのが正解だったのです。

10:28 3m程の道路を進むとやがて車止めゲートのある“林道鹿路冬野線”分岐を右に見送ります。
10:32 少し行くと右手方向にコンクリート道が分岐していますので1m程の道を進みますが、手元の地図と少しずつコースがずれているようですので丁度作業をされていた地元の方に尋ねると、やはり先程の旧道を真っ直ぐ進むのが正しいと教えて戴いたので旧道に戻ります。
10:56 再びウンザリするような暑さのなかを30分近く歩くと、“鹿路トンネル”のすぐ手前で林道が右へ別れますので、“細峠”目指して右へ緩やかに登ってゆきます。
11:04 - 11:09 林道に入ってすぐ、“竜在峠”への一般コースが右の樹林帯へ分かれていますが、今回最初の目的地“細峠”への広い谷道コースを直進します。  細峠への途中で少し平坦な場所を見つけて最初の休憩を採ります。
11:21 - 11:24 林道が終わって細い山道を蜘蛛の巣に悩まされながらジグザグの急な山道を一気に登ると、見晴らしの良いコルに出ます。 “細峠”に到着です。
※この“細峠”には竜門文化保存会の説明板があり、松尾芭蕉が吉野への途中で詠んだといわれる句 “雲雀より 空にやすらふ 峠かな” の句碑が残っています。 また南東方面の展望も良く大らかな山並みがパノラマのように広がって望見できます。
11:26 ここからは平坦で快適な樹林帯の良く踏まれた道を、のんびりと歩きます。
11:38 やがて山肌を斜めに切り込んだユリ道を歩くようになると、道が崩壊して右下への滑落に気を付けて通過する必要のあるところがありますので慎重に進みます。
11:41 - 11:52 再び整備された道になると前方に四阿風の小屋が見えて来ます。 “むかしの茶屋跡”(竜在峠?・・・・と案内書には書かれていますが)に着きます。
しかし明日香村が設置した道標には“竜在峠”はここから300m程南にあると案内しています。

※道標には “冬野 1.9km/鹿路 1.8km/竜在峠 0.3km” と表示されています。 また道端の石標には“金毘羅大権現”と掘られています。

※その昔にはこの四阿の建っているところに茶屋があったのでしょうか?
11:48 “むかしの茶屋跡”での休憩時間を利用して300m程南にある静か樹林の中にある“竜在峠”まで、穏やかな道を辿ってピストンします。

※道標に「竜在峠」と書かれた峠は左へ下ると“滝畑”、右へ登ると“入谷 2.7km”、また“冬野”へは2.2kmと案内されています。

12:20 “むかしの茶屋跡”を後にして、このコース中の最高地点(730m?)から緩やかに下って「多武峰最高峰(678m)」の直下にある冬野(とうの)集落めざします。
12:23 やがて歩きやすい山道から広々とした風景が視界に広がると冬野集落に着きます。 すぐの分岐を右に登ると神社がありその奥に多武峰の最高峰があると案内書には載っていますが、今回は分岐を左に採ります。
12:29 - 13:15 分岐から5〜6分も歩けば右後方に“談山神社”からの道が合流し、すぐ“良助親王墓”に着きますので今回はここで昼食休憩とします。
13:21 午後のスタートは先程の分岐を左に採って、“談山神社”方面に向って歩き、すぐ民家の軒先を通るように右へ折れて多武峰最高峰を右上に見て緩やかに下って行きます。
13:36 やがて車道の上に架かる橋を渡ると“下乗石”のある西大門跡に到着します。

※ここからは明日香村方面の展望が開け、遠く後方には葛城・金剛の山並みがドッシリと横たわっています。

13:38 ※“下乗石”のある西大門跡付近には“女人禁制”石柱と“良助親王墓”を示す石柱がひっそりと佇んでいます。
13:43 西大門跡から“談山神社”への舗装道路を30m程下ると左手に古い寺社が見えてきますので、手前にある細い地道を左に折れて緩やかに登って行きます。
14:03 - 14:15 道は途中でコンクリート舗装の林道を通りますが、再び地道になって“談山神社”からのコースと合流して少し歩くと“藤原鎌足の墓所”がある「御破裂山(607m)」に登り着きます。
墓所の裏手にある整備の行き届いた“展望台”からは桜井の町並みが一望でき、大和三山(天香具山・畝傍山・耳成山)や遠景には二上山が望見できます。
14:21 先程の分岐を左に採って“談(かたらい)山・談山神社”の道標に従って樹林帯の静かな道を下ります。
14:26 - 14:39 5分ほど下れば正面の小高い丘に階段道が付けられていますので、階段を上って“談山(かたらいやま)”に立ち寄ります。
※“談山”には「御相談所」と掘られた自然石が立てられています。 傍には説明版があって、 藤原鎌足と中大兄皇子が大化改新を謀った という謂われが述べられています。
14:46 - 14:53 ここからは長い階段道をノンビリと下って行くと、“談山神社”の境内(比叡神社本殿前)に降り立ちます。
- ※秋の紅葉の季節には大変なにぎわいを見せる“談山神社”も、今の季節はシットリとした若緑一色に包まれて、観光客もまばらで静かな佇まいを見せて呉れます。 境内に立つ“十三重の搭”は説明板によると “木造の十三重の搭”としては現時点では我が国唯一の建造物で・・・・《重要文化財》” と記述されています。
15:02 一通り景色を楽しんだ後は先程の“下乗石”までコンクリートの急坂を登り、車道に架かる橋を左に見て車道と並行に西方向に進みます。
5分程で分岐に着きますが道標に従って左の舗装路を下ります。
15:14 下りきったところで林道(車道)に出ますので横断して、“春井橋”の手前の50pほどの細い道を歩きます。
15:27 倒木のある荒れた道から急勾配を下って行くと10分少々で再び舗装された林道に合流します。 案内書ではすぐ近くに“薬師堂”があると書かれています。
15:29 - 15:36 ※暑さの影響もあって取りあえず日陰を探して休憩を摂ります。 近くに“気都和既神社(きつわきじんじゃ)”がありますので、休憩時間を利用して覗いてみると、 “大化改新で蘇我入鹿を暗殺した中臣鎌足が入鹿の首に追いかけられて逃げ込んだところ” と案内されています。 結局“薬師堂”への立ち寄りは取りやめて先へ進むことにします。
15:56 相変わらず風もなく日差しの強い中、冬野川に沿ったウンザリするような舗装道路をどんどん行くと、やがて細川集落を右手に見て通り過ぎます。
16:05 - 16:19 細川集落から10分程で“石舞台古墳”への分岐に着きますので、石舞台古墳に足を向けます。 予定では“飛鳥”駅まで歩くつもりでしたが時間も16時をオーバーしてしまいましたので、今回のハイクは急遽ここをゴールに変更します。
※ずいぶん久しぶりに見た石舞台古墳は記憶に残っている風景と大きく異なり、すっかり観光地になっているので少しガックリです。 今回の“古代史ロマンチックハイク”は静かな山歩きが楽しむ事が出来て、橿原神宮駅前での反省会は大いに盛りあがりました。
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